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人間学・古典

第57回 「先人の教え③ 十三世片岡仁左衛門」

令和時代の「社長の人間力の磨き方」

歌舞伎の「片岡仁左衛門家」(屋号:松嶋屋)は、江戸時代から続く名門で、当代で十五代を数える。中でも、当代の父に当たる十三世仁左衛門は明治36年に生まれ、2歳で初舞台、平成6年に90歳の生涯を閉じる3か月前まで、「現役の舞台俳優」として実に88年間を舞台の上で過ごした俳優だ。

 

その活躍の長さも去ることながら、名門の御曹司に生まれながらも、決して順風満帆な人生とは言えなかった。歌舞伎の世界では、最も強力な後ろ盾である父親を喪うと、一挙に待遇が変わる。若い頃は名門の御曹司と大切に扱われても、若くして父を喪い、中年までは「芝居にクセがある」と決して評価は高くなかった。しかし、仁左衛門の凄さは、歌舞伎の情熱が、どんな評価を受けようとも変わらずにいたことだ。京都に拠点を置いていたため、昭和30年代の「関西歌舞伎」の不振で公演も減り、東京の舞台へ呼ばれることも少なくなった。しかし、「どうしても芝居がしたい」との一念で、家屋敷を売るつもりで、関西歌舞伎のために自主公演を持った。この熱意が評価され、公演も好評で5年にわたって続いたが、それでも東京での評価は高いとは言えなかった。

 

昭和56年11月、仁左衛門にまたとないチャンスが訪れた。歌舞伎ではどこでも「家の芸」として大切にしている役がある。その一つである大役「菅原道真」を演じる機会を得たのだ。非常に高度な演技術を要求される『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ』という、歌舞伎の「三大名作」と呼ばれる作品の主人公で、歌舞伎では「菅丞相(かんしょうじょう)」と呼ばれる。この舞台に、新聞やマスコミは「名演」どころか「技芸神に入る」とまで、あらゆる絶賛を惜しまなかった。舞台を観ていて、「菅原道真がもし生きていたら、こういう人だったのではないか」という人品を感じさせた。

 

それまでの膨大な積み重ねがあったにせよ、一つの役にして、仁左衛門は「名優」の座を獲得したことになる。この時、仁左衛門は77歳。人によっては、そろそろ主役から脇役へ転じてもよい年齢である。驚くべきことに、仁左衛門はこの舞台の約半年前に、一夜にして両目の視力をほとんど失い、「盲目」に近い状態で舞台に立っていた。以降、亡くなるまでの13年間、ほとんど見えぬ眼で舞台に立ち続けたが、その評価は高まる一方だった。その上、今まで蓄積していたエネルギーを一気に爆発させるかのように、80歳を過ぎても年間7カ月から8カ月、舞台に立った。

 

私は中学生の頃から仁左衛門のファンで、劇場の楽屋や自宅などで近しく歌舞伎について教えを乞うことができた。何よりの財産であると共に、その生き方、考え方を含めて「師」と呼べる人の一人だ。眼が不自由なため、わずかな移動でも手を引いて「ここ、階段二段降ります」「坂道ですよ」と言いながら、一緒に歩いたことも多い。普段から信仰に篤く温和な性格で、芝居の稽古以外で声を荒げた場面を知らないばかりか、眼が見えないことで一度も愚痴めいた言葉を聞いたことはなかった。むしろ、驚きに近い感情を抱いたことがある。

 

「ダメになったのが眼で良かった。長年舞台に立っているから、勘で誰がどこにいるかはわかる。もしも、耳が聞こえなくなっていたら、相手の科白(せりふ)が聞こえないから、役者を辞めなくてはならなかった。それに、見えなくなって、余計な物が眼に入らなくなったおかげで、芝居に集中することができるようになった」と語ったことがある。私なら、愚痴どころか大騒ぎをし、自分の運命を呪うだろう。

 

名優だけではなく人格にも学ぶべき点は多かったが、ただ一度、叱られはしないがたしなめられたことがある。晩年、それまでの功績に対して「文化功労者」に顕彰された。お祝いの言葉を述べ、「次は文化勲章ですね」と言ったら、「中村君、そういうことを言うものではないよ。眼は不自由でも、それ以外にどこも悪いところはないし、三度の食事も美味しく頂けます。それに何より好きな芝居を年に何か月もさせてもらって、たまさかお客様が褒めてくださる。こんなに幸せなことはない。この上、何かを望んだら、罰が当たるよ」。私は、軽はずみに喜びを現わした自分を恥じた。

 

90歳まで舞台に立つのは稀とは言え、皆無ではない。地元の京都の「顔見世」と呼ばれる公演の千秋楽まで3日を残し、体力の衰えで休演し、自宅で療養をしていた。年が変わり、「もう会う事は叶わないだろう。玄関先へお見舞いだけでも届けられれば」と、新幹線に乗った。静岡を過ぎた辺りで、車内でニュースを伝える電光掲示板の文字が流れた。「片岡仁左衛門さん、老衰のため90歳で死去」。私が自宅へ駆け付けた時、三人の歌舞伎俳優の子息はそれぞれの舞台の千秋楽を終え、京都に向かう最中で、私が最初に着いてしまった。遺体に縋り号泣する私に誰かの声が聞こえた。「お父ちゃん、中村君を呼ばはったんやね」。

 

3月26日には、30回目の命日を迎えるが、私は今でも心の中で対話を続けている。

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