折々に感じもし、あちこちで書いたり話したりしているが、海外から多くの観光客を迎え、「オーバーツーリズム」なる現象さえ起きるほどの外国人を迎えている一方で、意外に我々は日本のことを知らない。場合によっては、訪れた外国人の方が日本をよく知っている場合もある。
誰もが古典芸能や茶道、華道、建築や庭園など、世界に冠たる日本文化の専門家になる必要はない。そんな複雑な話ではなく、「日本はいつできたのですか?」との問いに、我々はどう答えられるか、というシンプルかつ大きな問題が横たわっているのだ。
例えば、アメリカ人に同じ事を問えば、多くの人が「1776年に我が国は独立した。独立記念日は7月4日だ」との内容の答えが返って来るだろう。同様に、隣国の中華人民共和国であれば、「1949年10月1日」と言うだろう。これは、単なる歴史教育の問題だけではなく、民族としての誇りの問題でもある。
しばらく前に、ある講演で私は同じように「では、日本はいつできたのでしょうか?」と聴衆に問いを投げ掛けた。答えは幅広く、古くは西暦200年代の卑弥呼の頃から明治時代まで、実に1600年以上の開きがあった。続いて「2月11日の『建国記念日』とは、どういう意味で設けられた祝日でしょう」と問うた。「よくわからないが、年度末で繁忙期な上、2月は日数が少ないので困る」との回答が会場を笑わせた。
これは笑いごとでは済まされない。自分が生まれ育った国のスタートがいつなのか、と言う大事な問題をなおざりにした戦後の教育の弊害が現われているからだ。『魏志倭人伝』でお馴染みのように、「倭」の呼称が使われていた時期から、「ヤマト(表記は「倭」、「大和」、「ヤマト」などがある)を経て、「日本」となったのは大宝2年(702)のこととされている。これを基準にするならば、今から1,300年以上前にこの国の呼称ができたことになる。
では、「日本」は「にほん」と読むのか、「にっぽん」と読むのか。結論を言えば、どちらでも構わないことになっている。「中華人民共和国」を「中国」と略す呼び方を、当事者は認めていない。当然だろう。しかし、「日本」をどう読むかは、日本政府は「どちらでも構わない」としている。「日本銀行」は「にっぽん」であり、「日本航空」は「にほん」だ。「日本一」は「にほん」でも「にっぽん」でも通用する。両方とも広く国民に親しまれてきた呼び方だけに、どちらか一方に決めるには問題が多い、との配慮だろうが、江戸時代には同じ文字を「ひのもと」とも読んでいた。当事者である我々には違和感はなくとも、どこかで統一をした方が良いのではないか、と個人的には思う。
では、「2月11日」の建国記念日は何を意味するのだろうか。初代神武天皇が、紀元前660年2月11日に即位したことを祝うために設けられたもので、戦前は「紀元節」と呼ばれ、日本の祝日の中でも重要な意味を持つ一日だった。
さすがに最近は少なくなったが、市販のカレンダーの中にも「西暦2025年」「令和7年」「紀元2685年」と、三つの年号が記されたものがある。もっとも、これは他国と直接領土を接していない島々からなる日本だからこその話だ。雑な言い方をしてしまえば、「勝手にそう考えているだけで、国際社会は認めていなかった」とでもなろうか。これは、互いに征服を繰り返してきた国々では、戦争に勝利し、独立を勝ち得た日の意味が大きいからだ。
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しかし、日本も昭和20年に悲惨な敗戦をみた「先の大戦」を経験している。今の若い世代で、戦争があったことは知っていても、敗戦後の日本が占領下に置かれ、その統治が6年以上続いて国際社会の中で独立したことを、どれほど知っているだろうか。日本がアメリカを中心としたGHQ(連合国軍総司令部)の占領から解放されて独立したのは、昭和27年(1952)4月28日、「サンフランシスコ講和条約」が公布されてからのことだ。現代史では、日本の独立は中国のそれよりも遅いことになる。もちろん、双方共にそれ以前から国家としての体裁をなし、各国との外交は行われていたわけで、この日に突然生まれたわけではなく、国際法上の問題である。
しかし、今も東京・日比谷にある「東京宝塚劇場」が占領下の時期には「アーニー・パイル」と改称され、日本人は入れない外国人専用劇場となっていたことが70年と少し前にあった事実を知っておいて損はないだろう。
どの尺度で計るかにも寄るが、考えようによっては世界各国の中で、国家として最も古い歴史を持つ日本が、どのような歩みを辿ってきたのか、我々はいささか無関心に過ぎるのではないか。
本居宣長の歌を引き合いに出すまでもなく、日本にはかつて「やまとごころ」という美しい言葉があった。それが、戦争中に「大和魂」と変わり、国を守るための合言葉のようになった。文字が一文字変わっただけで、どれほどのものが失われたか。人命をはじめ、情緒、気質、思想…。
この国のかつての姿や成り立ちに想いをいたすことは、先の大戦に限らず、この国を守るために命を落とした数知れずの先人への敬意、追悼、感謝にもなるのではなかろうか。
















