【意味】
地位に執着しない君子は、安易に地位を引き受けないが、明け渡すときは簡単に手放す。小人はその逆である。
【解説】
「宋名臣言行録」からの言葉です。
守旧派の司馬光が改革派の王安石に「改革に際し、なぜ小人を採用したか?」と質問しました。すると「守旧派は前向きでないから進歩的な才人で一気に改革し、その後老成の人物を充てる」と云う答えが返ってきました。掲句はこれを受けての司馬光の更なる言葉です。
王安石の意見も一見妥当性がありますが、長期的に見れば問題が生じる可能性があります。才に長けた小人が改革を成し、その後タイミング良く退いてくれればよいのですが、地位に執着し居座るようなことになれば、折角の改革もあらぬ方向に進むことになりかねません。
「出処進退」の出処とは、周りに乞われて地位に付くことですから、就任は他人判断となります。進退とは、地位権限を得た後に進んで退くことですが、自分判断になりますから、執着心を克服しての退任は予想以上に難しいものになります。
佐藤一斎先生の「言志晩録」には、人材登用のコツが次のように明確に述べられています。
「才量兼ぬることを得可らずんば、寧ろ才を捨てて量を取らん」
(知恵才覚と人物器量の両方を兼ね備えた人物が見当たらない場合には、知恵才覚のある者を不採用にし、人物器量の人物を採用せよ)
晩録は言志四録の3番目の書であり、一斎先生が67歳から12年間かけてまとめたものです。既に江戸幕府という組織の中で永年高官の一人として勤めた経験から書かれた句ですから、大変重みのあるものになっています。
司馬光の仕事ぶりは慎重で遅く、帝までがあきれるような始末でした。ある時帝が仕事の遅さにしびれを切らし、側近呂公著(ロコウチョ)にその遅さを指摘しました。すると呂公著は司馬光をかばい、次のように帝をなだめました。
「大聖人の孔子も、弟子の子路から見ればまだるっこいのです。大賢人の孟子も、当時の人々からはのんびりした人物だと言われました。同様に司馬光ほどの人物であれば、物事への対処が慎重なほどのんびりと遅く感じるのです」と。
呂公著はなかなかの人物で、このような気配りができる人物がいる職場はまとまります。
組織の人事異動に伴い、誰もが新しい人事に期待を寄せます。しかし前任者と同じで後任者も完全な能力者ではありません。胸を膨らませる蜜月の期間があっという間に過ぎ、期待が大きいほどその後に後任者への批判が出てきます。地味な人事異動が意外に混乱を生じさせないのは、期待と現実との落差が少ないからです。
この意味からしますと、社長の就任式は控え目がよく、結婚も劇的な出会いよりも、見合い結婚や長いお付き合いの後の地味婚がよいということになります。
「持続的幸福を求める者は、華美を嫌い、出処を控え、地味を好み、対処を弁えよ」(巌海)