※本コラムは2022年3月の繁栄への着眼点を掲載したものです。
年末に親しいお客様と3人でニセコにスキーに行った。
一緒に行ったメンバーにスキーストックのメーカーである「シナノ」の柳澤社長がいた。仕事関係でスペシャルゲストを連れてくるという。
はて誰だろうと思っていたら、冬季五輪に四回出場した元アルペンスキーヤーの木村公亘さんであった。木村さんといえば世代的に私が大学時代にアルペンをやっていた頃、現役で活躍していた雲の上のような存在だった。会うのにとても緊張した。
ニセコは、コロナ前に数回行ったことがあった。オーストラリアの資本が入り、スキー場を滑る人は、オーストラリア人か中国人が7割、日本人は3割という数字だ。
不思議なことに中国人、日本人は宿泊しているホテルで食事をするのか、外の飲食店、BARは、オーストラリア人が9割以上。冗談ではなく、お店を予約するのに英語で話さないといけないという状況にも遭遇した。
想像できるだろうか。そのニセコが、コロナ禍でまた変わりつつあると聞き滑りに行ってきた。いや、見に行ってきた。
木村さんとランチから合流すると、スキー業界の話などで大いに盛り上がった。
日本人というのは、熱しやすく「にわかファン」というのが出来やすい民族だ。スキーブームが始まったのは誰もが知っている「私をスキーに連れてって」が放映された1987年からだ。
日本人の「にわか」のサイクルは5年だ。1993年からスキー・スノーボード人口は減少し始める。それを一気に押し戻したのが、1998年の長野五輪だ。実はここがピークだ。その数は1,800万人である。
そこからジリジリ下がり始め2020年の統計では430万人。ピークの4分の1にまでなっている。スキー場の数としては全盛期の703ヶ所から一時期は450ヶ所まで落ち込んだが、外資などの流入で現在は500ヶ所ほどになっている。
ランチも終わりゴンドラで頂上まで行くと、「散歩がてら花園エリアまで行きませんか」と木村さんは言う。それに従い、一気に花園エリアまで下ると我々は驚愕した。ゲレンデの入り口はコロナ前とは一変していた。
入り口を取り囲むように高級ホテルであるパークハイアットニセコが完成している。その前には最新の10人乗りゴンドラが新設されている。その目的はキッズゲレンデに移動する手段だという。
ゲレンデに来た人が必ず乗る第一リフトも最新の6人乗りリフトに変わっていた。その座席はプラスチックなどではない。車のようなパーソナルな座面が6つ並んでいる。勿論フード付きで、座ってみて驚いた。
ヒーターが付いているのだ。ずっと座っていたいくらい暖かい。
さらに我々がショックを受けたのが、一本滑ってから第一リフト前のレストハウスで休憩した時だ。ガラス張りのオシャレなレストハウス内には数々のモニターがある。
そこにはニセコのアクティビティーが紹介されていた。「もう、1人のインストラクターが10人の生徒にボーゲンを教える時代ではない」と木村さんは言う。そんなものは何処のスキー場でも出来るからだ。
わざわざ飛行機で羽田から2時間、さらに新千歳から2時間かけてニセコに行く意味がない。「ニセコに来たら、ニセコの良さを楽しむ。ニセコがダメなら日本のリゾートはおしまいだ」木村さんの言葉に私はその通りだと思った。
スキーが時流に合わなくなってきているのではない。時流に合わないのは日本人の古い体質ではないか。
モニターには広告が流れている。スノーシューを履いてニセコの絶景を楽しむスノーシューツアー。
ガンガン滑りたい人向けに子供を1日預かってスキー・雪遊びをしたりする子供のプライベートレッスン。そのプライベートレッスンの料金は1日でランチ付き6万円であった。
この価格はもう日本人を対象としていない。かつて我々はアジアに行き、「食事して飲んで500円でお釣りがくる」などと言っていた。それがいま日本になりつつあるのだ。
先進国の中で、1,000円でこんなに美味しくてボリュームあるランチが食べられるのは日本だけだろう。この事実に行った3人ともショックであった。
日本を豊かにするためには、日本人の所得を上げなければいけない。世間がどうであれ、業界がどうであれ、ライバルがどうであれ、そんなのは関係ない。
社長として、「自社の社員の給料を1円でも多く払ってやりたい」誰もがそう思うはずだ。そうしなければいけない。そう強く強く感じた。
※本コラムは2022年3月の繁栄への着眼点を掲載したものです。