【意味】
人材の登用は、その職責に耐え得る能力を基準とし、新参古参の勤務期間から生ずる恩情に流されない。
【解説】
「貞観政要」からの言葉です。
ある時側近の房玄齢(ボウゲンレイ)が、「旧臣よりも中途採用の臣下がより上に登用されているという不満が、生じておりますが」と申し出てきました。掲句は、この時の帝太宗の言葉です。
古参臣下の気持ちとしては、勤続年数が長く君主と共に辛酸を舐めて大きな貢献をしていますから、これを考慮して新参者よりも恩情ある登用をしてほしいとなります。
現代の組織人事でも、古参からの恩情主義要求と中堅若手からの実力主義要求の相反する要望が複雑に絡みます。古参を優遇すれば恩情に厚い人という評価を受けますが、逆に中堅若手からは情に弱く能力を見極められない人という判断をされかねません。
1400年前の唐王朝の人事でもこのような不満が生じていたから、側近房玄齢は帝太宗にそっと打ち明けたのだと思われます。
太宗は10年間、父である初代高祖の下で数々の武勲を挙げた闘将でした。とかく戦いに強い武将は単純な前向き思考に陥りがちですが、太宗は戦いの中での修羅場体験を後の治世に活かすことのできた柔軟な人物でした。ですから史上最高の治世と称される「貞観の治(627~649)」を成し遂げることができたのです。
俗諺に「堤防は、蟻の巣の一穴から崩れる」とあります。太宗は多くの戦いの経験から、組織は弱い一穴から崩れることを知り抜いていたので、「堪否(カンプ)を問う!」(部署責任者の職責に耐え得る能力)と答え、イザ鎌倉の際の臣下の忍耐力を求めたのです。
考えてみれば、一国の王朝といえども天地自然の大きな流れの中の組織ですから、興隆の時もあれば衰退の時もあります。太宗はしばしば臣下たちに「草創と守成の何れが難きや」(創業時と守成時ではどちらが困難か)と問いかけ、組織維持の緊張感を求めています。その真意は「イザという時の臣下の覚悟」であったと思います。
企業も「時代相応の企画をし、それを業として繰り返し行う組織」ですから、組織全体も変化に対応する能力が問われ、その核となる各部署の責任者も新時代対応力が必要になります。しかしこれは表の対応能力で、人事権者ならば当然考慮する項目です。太宗はこれに「堪否を問う!」のもう一項目を加えよというのです。
現代企業の環境もグローバル化や高齢化社会と目まぐるしく変化し、順調な時ばかりではありません。それ故に現代もまた「組織の逆境期に耐え得る人物」という観点からの登用を忘れてはなりません。