【意味】
法令と刑罰をもってすれば、人民は抜け道を考えて罪の意識が無くなる。道徳と礼法をもってすれば、人民は罪の意識が生まれ、善悪の判断ができるようになる。
【解説】
法令の狙いは、社会の関係者の調和にあります。
例えば、強者が弱者を傷つけないために刑法があり、国の行政資金を徴収するために税法があるのです。
掲句にあるように、法律の運用は重要で、厳格すぎれば自由を奪い、緩やか過ぎれば脱法者が増加して立法目的を達成しないこととなります。
現実にはこれが法律の技術的な限界であり、この点を内側から補うのが「道徳と礼法」になります。
一部には道徳と礼法だけで、国が治まった史実が無いことから軽視されがちですが、だからといって法律だけで国家の維持を図ると、無制限に法律が増えギスギスした住みにくい社会になってしまいます。
マナー運転が浸透すれば、規則も取り締まりの警官も少なくて済むように、国民の品性が豊かになれば、規制の少ないシンプルで自律的な生活ができます。
一時的ではありますが、この道徳と礼法の力によって、理想的な国家に近づいたのが、第51講でもご紹介させて頂いた貞観政要の唐(618年~907年)王朝です。
中国史を代表する暴君といわれた隋王朝の煬帝を武力で制圧したのが、後に唐の初代高祖となる李淵(リエン)ですが、この李淵と共に若くして戦場に身を置いたのが、次子の李世民(リセイミン:後の2代目太宗)でした。
李世民は武力で隋王朝を滅ぼしはしましたが、その力に限界を感じ自らが治めた唐国では、儒教的な思想の普及に重きを置いて、国民の道徳心を高めることに成功しました。
後に、
「民、路に落ちたるを拾わず、外戸を閉じず、商旅野宿す」
と称えられたその治世は、中国三千年の歴史の中で最高の治世といわれています。
今、様々な地域で難民問題が起こっています。
彼らから見れば、日本の国というのは、犯罪検挙率も高く、非常に安心して住める国家のイメージですが、1400年も前の唐のように、「外出時に鍵をかけなくても泥棒に入られない」「安心して野宿ができる」というレベルには到底及びません。
戦後、欧米諸国を見習って法律の整備はしっかりしてきたのかもしれませんが、目指すべき次元の高い理想国家からは、どんどん遠のいているのかもしれません。