(沈才彬撮影 2013年11月)
ところが、それから4カ月後、尖閣諸島問題をめぐる日中関係の悪化を背景に、中国各地で大規模な反日デモが発生し、多くの日系企業は被害を受けた。被害金額が最も大きかったのは、正に湖南平和堂である。
1年余を経った今、湖南平和堂はどうなっているか?筆者を含む多くの人々は平和堂の現況を知りたい。
今年11月上旬、筆者は香港時事トップセミナーにて講演した後、上海経由で長沙市に入った。湖南平和堂を訪問し、再び寿谷正潔総経理に取材するためであった。
訪問当日、筆者は湖南平和堂1号店の玄関に入ると、日本のスーパーで絶対に見られない風景が再び目に入った。玄関の近くに高級腕時計ロレックス専門店、ロンジン専門店、化粧品のシャネル、資生堂など有名ブランド専門店がずらりと並んでいる。店の1階から7階まで大勢のお客さんが賑わっている。反日デモで破壊された面影がなく、完全に復旧された様子が印象的である。
寿谷総経理との面談は午前11時から始まる。取材の冒頭、寿谷総経理は昨年の反日デモが発生した時の様子を生々しく話してくれた。
昨年9月15日、長沙市内に大規模な反日デモが発生し、一部は暴徒化した。平和堂に乱入し略奪・破壊行為も行われた。当時、寿谷総経理はちょうど出張を終え、長沙空港から車で会社に帰る途中だった。店の幹部から電話があり、「危ないから、店に帰らないでください」と言われた。それで、寿谷総経理は自宅に帰り、湖南省に進出する3店舗の被害状況を確認しながら、地元政府や平和堂本社と頻繁に連絡を取り、危機対応を指揮した。
翌日、地元政府の外事局幹部は店に来て被害状況を確認し、直接に湖南省長にも報告した。その後、地元警察は日本人の安全と日系企業の資産を保護するため、店周辺を封鎖し、現場検証を一週間も続けた。
それでは、なぜ平和堂が反日デモの標的となったか? 実は、日中戦争の時、湖南省長沙市は激戦区で、多くの市民が戦争で亡くなった。そのため、日本に対する市民感情が厳しい。さらに、中国の経済成長は減速しており、雇用情勢が悪化している。一部の若者はなかなか職場を見つけず、不平不満が蓄積されている。尖閣諸島国有化をきっかけに、市民たちの日本政府に対する怒りと中国政府に対する不平不満が重なり、この二重不満の捌け口として大規模な反日デモは発生した。寿谷総経理によれば、実際、「長沙市で反日デモに参加し、平和堂の略奪・破壊行為を行ったために指名手配された20数人の容疑者はほとんど無職の若い人たちであった」と。
この反日デモで、平和堂は甚大な被害を被った。寿谷総経理によれば、反日デモによる被害金額は平和堂本体の固定資産の被害や修繕費などで約5億円、テナント被害を含めば約35億円にのぼる。中国進出の日系企業の中では最大規模となる。損害保険に入っているので、5割弱が保険で補償できる。それでも被害金額は大きい。普通に考えれば、中国撤退を視野に入れざるを得ないが、実際は平和堂が中国撤退をしなかった。それどころか、今年4月28日に長沙市内にある湖南平和堂4号店がオープンした。
「平和堂はなぜ中国から撤退しないか?」私は単刀直入でこの素朴な質問を寿谷総経理にぶつけた。
「決め手は本社の夏原平和社長の訪中と決断だ。地元政府の態度、(現法)社内の雰囲気と現場感覚、この3つはキーポイントだと思う」と、寿谷総経理は当時の決断を顧みながら淡々と語っている。
実は当時、本社内部では「中国撤退論」がない訳ではなかった。反日デモ発生直後、平和堂が破壊された映像が日本テレビ各局で繰り返し放送され、湖南平和堂が全壊されたイメージが日本視聴者に浸透している。本社内部では「撤退すべき」という提言も夏原社長のところに届いている。撤退かそれとも復旧して事業継続か? 難しい決断が迫られる。夏原社長が取った行動は現場に行き、それから決断することだ。
寿谷総経理はさっそく夏原社長と周強・湖南省書記のトップ会談の調整に乗り出した。9月23日、夏原社長は現地に入り、3店舗を視察し、被害の実態を把握した。日本のマスコミはインパクトがある悪い部分を突出させ、全壊のイメージを視聴者に与えたが、実態とはかなりかけ離れている。店はせいぜい半分くらい壊れているが、復旧はまったく可能だ。
その次に、現場の声を聞くために、3店舗の幹部社員を集めて会議を開いた。現場からは復旧と事業の再開を強く求める声はほとんどであった。そこで、夏原社長は皆さんを激励するスピーチを行い、復旧の決意を表明した。
翌日、夏原社長は湖南省のトップ、周強書記(現最高人民法院長)との会談に臨んだ。席上、平和堂側は湖南平和堂が当時湖南省政府の要請に応え、滋賀県と湖南省の友好関係の一環として事業開始した経緯を説明。現在、直接雇用7000人、関連企業を含めば1万人の現地雇用を創出していると紹介。周書記は「不測事態の発生はとても残念だ。今後の(日系企業)安全は政府が責任を持って守る」と約束した。さらに、周書記は同席した省政府関係部門の責任者に「日本人の安全は外事弁公室が責任をもって守り、日系企業の資産は公安が責任をもって保護するよう」と具体的な対応策を指示した。
地元政府の態度、現場感覚、社内の雰囲気などを踏まえた上で、夏原社長は中国撤退をしないという重大な決断を下した。
勿論、この重大な決断の根底には湖南平和堂の本社収益に対する高い貢献度があることを見逃してはならない。湖南平和堂は平和堂の中核事業の1つであり、2012年2月期平和堂の当期利益46億円のうち、11億円が湖南平和堂からの配当金であり、全体の24%を占めている。言い換えれば、中国市場は平和堂にとっては無くてはならない存在となっている。
社長の決断を受け、湖南平和堂はさっそく復旧作業に着手する。地元政府のサポートを得て、12年10月27日、一号店、二号店が事業再開、11月21日に三号店も事業再開。13年4月28日に新たに四号店がオープン。湖南平和堂は再び成長の軌道に乗り始めている。
寿谷総経理の説明によれば、企業の業績も反日デモ前の水準まで回復している。2012年12月期は、反日デモの被害と一か月以上の営業停止が響き、売上1割減、純利益が3割減となったが、今期(13年12月期)は着実に回復し、売上と純利益はいずれも2011年度を若干上回る見通しとなっている。
「今から振り返ってみれば、中国撤退をしないという夏原社長の決断は正しかった。もし社長が現場に来なかったら、既に撤退したかも知れない」と。
取材を終えた際、寿谷総経理の感無量の一言は筆者の胸に響く。帰路の飛行機の中で、経営トップの「現場感覚」の大切さを改めて噛みしめる。