ビジネスの世界で、自分を導いてくれる良き指導者や助言者のことを「メンター」と呼び出してどれほどになるだろうか。言葉自体の存在・起源は古く、『ギリシア神話』の登場人物である。それが変形したものだが、どこで何をしていても、さらに年齢に関係なく「指導者」や「助言者」を持てるのは有り難いことだ。その一方、社会的あるいは経済的な地位が高くなればなるほど、耳の痛いことを言ってくれる人がいなくなるのも世の道理だ。そこで勇気を持って諫言をしてくれる人の言葉にどれほど耳を傾けられるかが、人間の器量でもあり懐の深さでもある。
「師恩」という言葉がある。卒業式で歌われた『仰げば尊し』の中にも「わが師の恩」との歌詞があり、誰にも馴染みのある言葉だ。しかし、残念ながら、学校時代の恩師との交流が長く続き、学校を離れ、社会へ出てもなお「教え」を受けられるケースはそう多くはない。せいぜいが、久しぶりの同窓会のゲストに顔を見せていただき、元気な様子に安心して想い出話に花を咲かせるぐらいだろう。
しかし、「メンター」がビジネス上の師であるなら、学校時代に素敵な「恩師」に巡り合うことができれば生涯の師ともなりうる。
私事にわたるが、小学校一年生の折に新卒でこの悪童を受け持ってくださった担任の先生とは、もはや半世紀を超えるお付き合いになる。常に濃密なやり取りがあったわけではなく、結婚され、ご主人の仕事での関係で海外で過ごされた時期もあり、長らくお目にかからない期間もあった。しかし、年賀状のやり取りなどは途絶えることがなく、どこにおられても遠くから優しく見守ってくださっている感覚が常にあった。
物書きだの芝居の研究だのという一風変わった仕事をしていて、「こんなことをします」とご案内を差し上げると、可能な限りご出席いただき、嘘でもお世辞でもない喜びを伝えてくださるのが何よりも嬉しかった。
昨年、少しまとまった本を作った折、久しぶりに電話で話す機会を得た。もう現役の教員はリタイアしておられるものの、元気いっぱいで、住まいのある区へ一家で労働に来る外国人たちの子供への基礎的な日本語教育や、情操教育の一貫として「人形劇の出前」などに忙しい日々だとのこと。それも、自ら「今はこうなのよ」と自慢げに語るのではなく、こちらが聞き出してようやく、「実は、私もね…」と話してくださった。
大変失礼な申しようだが、我が師は世間的に高名、というわけではない。しかし、自分の「仕事」として半生を捧げた教職を退いてなお、上からの視点ではなく、「自分のキャリアで役に立つことがあれば…」とのスタンスで黙々とボランティアを続けておられる。この話を伺った時に、おかしな話だが「この先生には一生叶わない」と痛感した。私の場合、仕事をする相手がマスコミで名を知られているだけに、一緒にやっている自分も、と勝手に恥ずかしい勘違いをする場合がある。華々しく、あるいは立派な業績があるのは先方で、偉いのは私ではなく、私に付き合ってくださる「先方」なのだ。
しかし、先生は、相手が誰であろうが、自分ができること、すべきことに黙々と向き合い、その成果を誰に自慢するわけでもない。まさに「不言実行」の人である。背中を見せて人を育てるのは「親父」や「社長」ばかりではないことを教えてもらえたのは嬉しいと同時に、50代も後半に至るまでそこに気付かずに浮かれていた自分の恥を知った。
どんな職業であれ、人生において「師」と呼べる人物を持てることは幸福の一つだ。直接その謦咳に触れることができずとも、発言や著書などでその思想や生き方に共鳴や感動を受け、自ら師と仰ぐのも素晴らしいことだ。中国の古典『孟子』の中にある「私淑」という言葉がまさにそれだ。立場や年齢が上がるにつれ、「師」を持つことは難しくなり、「師」になる立場が多くなる場合もある。その時こそ、自分が偉くなったのだと「勘違い」せずに、もう一度自分のありようを確かめるためにも「メンター」や「師」となるべき存在が持てるかどうかに想いを致すこと、これはその先に与える影響は大きい。
若い時代と違い、この時期に必要なのは、分野や仕事に関係なく「生き方の師」であろう。自分がこの先も尊敬し続けることができるかどうか、その人の前で謙虚に、「素」の自分の至らなさを見せることができるかどうか。言うは易く、である。
改めて振り返ってみると、私は金銭的なことには恵まれずに生涯を終えることはほぼ確実のようだ。しかし、「師」「先生」と呼べる方々を多く得られたのは、何物にも代え難い財産だ。この財産だけは、ルパン三世にも石川五右衛門にも盗まれる心配はない。
今はあまり使われなくなってしまった「敬慕の念」に相応しい感覚でその方を見られるかどうか、そういう方が何人いるのか、後半生の人生をさらに豊かな物にするための掛けがえのない財産を探すべく、久しぶりに自分の周りを見回してみるのも悪くはないだろう。