日米繊維交渉も大詰めを迎える。米国の強硬姿勢を外圧として利用し、国内の反対論の押さえ込みに利用する。
「潮は満ちてきた」と、田中角栄の研ぎ澄まされた政治感性は勝負を促す。総理・佐藤栄作と通産大臣室で電話がつながると、田中は一気呵成にまくし立てた。
「総理、ここまで来たら輸出規制を覚悟してもらいたい。なあに、業界の損失補償は一般会計に加えて財政投融資でカバーしますからご心配に及びません。ついてはこれから大蔵省と掛け合いますから、総理からも全面的なバックアップをお願いします」
「わかった、よろしく頼む」と佐藤。沖縄返還を長期政権最期の政策課題として掲げる佐藤にしてみれば、日米両国ののど元に刺さったトゲ、繊維摩擦の解決は一日も急ぎたい。異論のあるはずもない。
置いた受話器をふたたび取り上げた田中は、大蔵大臣の水田三喜男に電話する。
「繊維交渉の解決に2000億円かかるんだ。業界の損害補償、これしか方法がない。役所仕事で下から積み上げていたんじゃ間に合わん。こっちの担当と主計官で詰めさせたい。頼む」
強引な田中の裏に総理・佐藤の決断を感じて水田は了承する。
周到な国内根回しをおくびにも出さず、大詰めの交渉で田中は強硬姿勢を貫く。譲るばかりが交渉じゃない。「妥結のためには、アメリカがこだわるトリガー条項をはずせ」。
一定の繊維輸入量に達すると自動的に米側が規制を発動できるこの条項は悪しき前例となる。田中は鬼の形相で迫る。
期限の10月15日が迫り、米側は折れた。トリガー条項をはずす。そして15日、日米の合意が成立し、田中は米側代表のケネディと覚書に調印した。田中が特命を受けて通産大臣のイスに座ってわずか3か月のことだった。
田中は回想している。
「交渉を引き受けるにあたって、私は佐藤総理から一つの約束を取り付けたんだ。通産相だけでなく、外相、大蔵相の権限を行使できるようにしてくれとね」
そして、実質的な三相兼務の力が交渉妥結の早業を支えた。
「難航の末、交渉取りまとめは外相の仕事」と手ぐすねを引いていたライバルの外相・福田赳夫に付け入る隙を与えない電光石火の妥結劇。「ポスト佐藤は福田」で動いていた総理の思惑ははずれ、翌年、田中は自民党総裁選で福田を破り、首相となる。
総理・田中には、日中国交回復という大仕事が待っていた。中国の周恩来首相との丁々発止の交渉の話は次項に譲る。 (この項、次回に続く)