「背水の陣」という定石を破る奇計に加え、敵の城の幟(のぼり)を奇襲で取り替えるという計算し尽くした心理戦で趙軍を屠った韓信は、趙王を捕らえ掃討戦を続けながら二人の男を探させた。
隘路での輸送隊の攻撃を建策した敵将の李左車(り さしゃ)と、韓信を窮地に陥れたであろうその建策を、「奇計取るべからず。正面戦で十分に勝てる」と斥けた上司の陳余(ちん よ)であった。
韓信は、陳余(ちん よ)を見つけると川のほとりで斬り捨てた。
しかし李左車(り さしゃ)に対しては意外な対応を取る。差し出された李左車の縄を解き、上座に座らせ師として遇した。そして問う。
「私はこれから北方の燕国(えんこく)と東の斉国(せいこく)を伐たねばならない。どうすればいいか」
「亡国の大夫である私に何を語れというのか」と訝(いぶか)しむ李左車に韓信は言う。
「昔、百里奚(ひゃくりけい)という智者がいたが、虞国に仕えていた時には国を滅ぼした。しかし、後に秦国に奉仕して秦を天下の覇者にした。虞にいた時には愚者で、秦に来て智者となったわけではない。彼をうまく登用したかしないか、その意見を聞いたか聴かなかったという王の差である。あなたの意見が取り入れられていれば、私は捕らえられていただろう」
韓信自身も、かつては、項羽の陣中にいたが、策略を献じても項羽からことごとく斥けられ、やがて項羽の下から逃げ出し劉邦に帰順した苦い経験がある。李左車の悔しさはだれよりも分かった。
その韓信から言われて、李左車は話しはじめる。
「あなたは破竹の勢いで勝利を重ねてきた。その名声は四方に知れ渡っています」
「しかし」と李左車は続けて計略を授ける。
「将軍(韓信)の兵は連戦で疲れ果ててもはや役に立たない。このまま燕を攻めても時間がかかり、自壊します」
「では、どうすればいいのか」と重ねて問う韓信への答えは、次のようであった。
まずは兵を休養させ、趙の戦没者の遺児に情をかけ、臣下に酒食を提供しなさい。そうして、燕、斉に使者を送れば、かれらは自ずと貴公のもとに降るでしょう、と。
「よし」と韓信は即座に建策通り実行に移す。燕は、草が風になびくように韓信に服従した。
戦いとは力作業だけではないことを、韓信は敵の智将から学んだのである。(次回に続く)