江戸幕府に人材起用法を説いた儒者・荻生徂徠の言う「適材適所」原則の効用は、寺社大工の目からも稀代の名棟梁である西岡常一が支持している。スポーツ、とりわけプロ野球のチームづくりでも同様である。
2004年のシーズン、巨人軍は驚くべき打線を組み立てた。前年までに巨人に移籍していた清原和博(元西武)、ペタジーニ(元ヤクルト)、江藤智(元広島)に加え、新たに近鉄からローズ、ダイエーから小久保裕紀を獲得した。さらに生え抜きの阿部慎之助、高橋由伸を合わせると、ずらりと四番経験者を並べたのである。人呼んで〈史上最強打線〉。
開幕前から、だれもがその破壊力を目にして前年セリーグ3位の屈辱を晴らして日本一奪還を確信した。
たしかに強力打線は年間235本のチーム本塁打日本記録を打ち立てた。しかしシーズンが終わって見れば、中日、ヤクルトの後塵を拝してリーグ3位に終わった。
開幕前に「そんな打線は機能しない」と見抜いていた男がいた。野村克也だ。
現役時代は王、長嶋と並ぶスラッガーで、監督としては低迷を続ける弱小のヤクルトを率いて90年代に4度のリーグ優勝(うち3度は日本一)に導いた名指導者である。
野球には九つのポジションと打順があり、それぞれの役割は違う。「それを無視して四番バッターばかり集めてもだめだ」と野村は見抜いた。
「どんな組織でも何人か集まれば、それぞれの役割が発生する。それぞれが自分に与えられた責任をまっとうすることで、組織は有機的に結びつき、人数以上の力を発揮する。そこが組織のおもしろいところであり、難しいところである」
「適材を適所に配置すれば、たとえ個々の戦力は劣るチームであっても、素質はありながら自分勝手にふるまう選手が集まったチームよりも、強いはずなのである」と語る野村。
かつてヤクルトを日本一のチームに育てた野村は、2006年のシーズンから、前年発足したばかりでパ・リーグ最下位に終わった楽天の監督を請われて引き受けることになった。
野村が、理想のチームとして挙げるのは、川上哲治が率いたV9時代の巨人である。王、長島を不動の主軸に、くろうと好みの末次が五番を打ち、黒江、土井、柴田、高田といった一癖も二癖もある俊足の巧打者が固める。
「しかし、巨人ほどの強化資金もない球団で、どうすれば強豪を打ち負かせるか」
やってやろうじゃないか。
意気に感じて、野球人生の集大成に挑んだ野村の“智恵”に、次回から学んでみよう。