不戦の勝利こそ理想
男として生まれたからには、他人に勝ちたいと思う。会社を起こしたからには、ライバル社を蹴落としてでも市場シェアを奪いたいと考える。人の性(さが)のようなものである。
『孫子』というと、個々の戦いでの勝ち方を説いていると思われがちであるが、著者の孫武の考え方は違う。彼が繰り返し書いているのは、戦わずして勝つ方法であり、国家(組織)を守り発展させる方法論である。
実際の戦闘によらずに計略によって相手を屈服させることを述べた「謀攻」篇の冒頭に登場するのが、〈百戦百勝は善の善なる者にあらず〉(戦闘すれば必ず勝つというのは最善の方法とは言えない)と言う警句である。
まずは国(組織)の利益を保全せよ
では、何が最善か。『孫子』には続けて、「戦わずして敵軍を破ること」こそ最善の方法であると説く。
逆説的な頓知のような言い方に聞こえるが、彼にとっては、国家としての戦争の目的は、国益、組織の利益を守り、それを発展させることだという明確な意識で貫かれている。であればこそ、壮大な攻城道具を時間をかけて工作し、長期戦の末に敵の城を降参させることは、時間と費用の無駄であり、結果的に、味方も多大な損害を出し、国家の疲弊を招くとして退けるのだ。
さらに戦後のことを考えるなら、敵を完膚なきまで叩き潰す戦い方は愚策であって、可能な限り、敵の兵力も保全したまま屈服させられれば損害が少ないばかりか、事後に、その兵力、国力を手に入れることができて国益にかなうというわけだ。男が憧れがちな「力による勝負、力比べ」の戦争は、敵のみならず、自国の国力を削いでしまう。
市場シェア争いで、苛烈な正面戦に突入して激しい値引き合戦に突入し、勝った挙句に経営状態が悪化してしまったのでは、意味がない。著しくは会社を潰してしまう。
相手の策謀を見破り阻止する
とはいえ、戦いは、自ら仕掛けるだけのものではない。相手から仕掛けられる場合もある。その場合の対処法も優先順を立てて謀攻篇には書かれている。
・その場合の軍事力の最高の使用方法は、事前に相手の攻撃意図を見破ること〈上兵は謀を伐つ〉。
・そして敵とその友好国との同盟関係を断ち切ること〈その次は交を伐つ〉。
(相手は攻撃を仕掛けるに当たって同盟国と協力するものだから)。
・そこまで手を尽くした上で、敵をおびき出して野戦で打ち砕くこと〈兵を伐つ〉。
(ここでようやく、武力の役割が生じるが、決して敵の本丸に向けての攻城戦を行ってはならないと、再び釘を刺している)。
『孫子』を読みこなすには、全体を見渡して読まないと個々の成句に込められた意図を読み間違える。故事成語集をつまみ食いすることなく、原典を順を追って読んでほしいものだ。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『新訂 孫子』金谷治訳注 岩波文庫
『孫子』浅野裕一著 講談社学術文庫