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- 北村森の「今月のヒット商品」
- 第9話 目立たない商品領域で「世界初」を作り上げる
今回は遠近両用メガネです。2月に新発売となった、三井化学の「TouchFocus(タッチフォーカス)」の話。これ、「世界初」なんですよ。何が世界初なのか?
外観を見る限り、ごく普通の近眼用のメガネと変わりません。従来の遠近両用メガネって、レンズに境目があって、下の部分が老眼用になっていますね。なので、周囲の人にすれば「あっ、遠近両用メガネだな」と分かる。でも「TouchFocus」は、まず見破られません。
どうなっているのか。この「TouchFocus」は、普段はただの近眼用メガネとして使う感じ。老眼用レンズはどこにも現れていない。そして、いざ、老眼鏡が必要な場面になったら、ここに手で触れるんです。
テンプル(つる)に、小さなタッチセンサーが付いているのが分かりますか。ここに触れると、コンマ数秒で、レンズの中心下部が老眼モードに早変わりします。その部分だけが液晶になっていて、電圧をかけることによって屈折率を変えるんです。で、戻したいときには、またタッチセンサーに触れればいい。
老眼モードをオンにしても、レンズの様子はこの程度です。外からは、もうほとんど分からない。もちろん、「TouchFocus」を掛けている本人には老眼モードに入った部分は認識されるので、レンズのその境目が視野に入ると、ちょっと見えづらいことはありますが、メガネ全体をちょっと上に上げてやれば大丈夫。
小さな充電池がテンプルの根っこにあって、これを取り外して充電する仕組みです。老眼モードをオンにしっぱなしでない限り、そんなにこまめに充電しなくても構いません。1日1〜2時間程度の老眼モードオンとして、充電は1〜2週間に一度ほどで問題ない印象です。
「レンズの屈折率を電圧で変えることで、瞬時に老眼モードが現れる」という、この機能が、つまりは世界初ということです。これによるメリットは何でしょうか。普段から老眼鏡を必要とされている方なら、すぐに想像がつくかと思いますが、念のため、まとめますね。
まず、近眼用のメガネを外したり、老眼鏡に掛け変えたりする必要がない。しかも、タッチ一発でごくごく簡単に老眼モードに変化させられます。さらに言えば、前述のように、レンズの境目が外からはわからないので、従来の遠近両用メガネより若々しい。これ、使う人にとっては、とてもありがたい部分かもしれません。
そしてもうひとつ、極めて重要なところがあります。従来の遠近両用メガネでは、階段や坂道の昇り降り、段差の乗り越えなどの際に、足元がぼやけて見えてしまいがちでした。レンズ下部が常に老眼用ですからね。「TouchFocus」であれば、スイッチをオンにしない限り、レンズ全体が近眼用レンズなわけですから、その心配はなくなります。これは大きいでしょう。
三井化学の開発担当者に話を聞くと、この「TouchFocus」の新技術をものにしたかった理由もそこにあるそうです。単に格好いいからとか、単に世界初を標榜したかったとかいう話ではないのですね。
この技術、発想そのものは米国のベンチャー企業のものだったのですが、資金不足で開発が頓挫。それを三井化学が引き継ぎ、さらには国内での協業メーカーも手を引くなか、最後は独力で踏ん張ったといいます。細かな素材ひとつとっても、新開発を重ねる必要があり、完成させるまでに10年はかかったらしい。日本の超大手メーカーをもってしても10年ですか……。でも、担当者は言っていましたね。「いえ、わずか10年で完成したというのが、率直な気持ちです」。そうでしたか、それほどまでに難しさを極めた道のりだったのですね。
今、さまざまな商品領域で、競うようにイノベーションの成就を目指す企業活動が盛んですが、老眼鏡という一見地味なジャンルで、こうしてひとつの日本企業が頑張った点は、素直に評価したいと思いました。だってこれ、広く普及したら、どれだけの消費者がありがたいと感じるか、という話ですからね。
ただし……少なくとも今の時点では、値段は立派ですよ。フレーム込みで、税別25万円。かなりなものです。これは従来の遠近両用メガネの最高級商品とほぼ同じくらい。やはり価格はこうなってしまうのですね。それでも、私は意義ある商品に感じます。「TouchFocus」のもつ安全面への効果はもちろんですが、何より、これを持っていたら、人に自慢できるから。実際に、タッチセンサーをオンオフしているところを見せびらかしたいじゃないですか。「日本の企業が、世界初を成し遂げたよ」と言いながら……。これって、消費者がお金を投じて買う、大きな動機付けでしょう。
ということで、私、この商品を、妻に拝み倒して購入しました。さしたる不満は、今のところありませんね。