天下を取り損なった英傑―韓信
中国古典で「天下三分の計」といえば、後漢末の三国志の物語で、諸葛亮(孔明)が蜀の劉備に対して「曹操(魏)、孫権(呉)と中国を三分割し、将来の統一主導権を目指す」ことを説いた「隆中策」が有名であるが、それを遡ること四百年前に、今ひとつの三分の計が世に現れた。
主人公は、前漢を開いた劉邦に仕えた韓信である。この連載でも、「背水の陣」と、大志のためには屈辱をもいとわない「股潜り」で取り上げた男である。
当時、始皇帝による統一中国の秦が一代で瓦解し、漢に依る劉邦と楚を拠点とする項羽の両雄による楚漢戦争として捉えられているが、ことによっては韓信がその中に割って入って、天下を手にした可能性は大いにあった。韓信には不幸にしてその野心を貫くことができなかったのである。
項羽に捨てられライバル劉邦に拾われる
当初、項羽に士官した韓信は、日の目を見ず、ライバルの劉邦に鞍替えした。劉邦の宰相、蕭何(しょうか)の後ろ盾を得て韓信は戦功を重ね、重用されていく。
このころ、劉邦にとって楚の項羽より先に滅ぼすべき相手があった。項羽の背後に位置する斉の国だった。劉邦は韓信に命じて斉を攻めた。奸智をもって韓信は斉を破った。さてチャンス到来である。韓信の側近、蒯通(かいとう)は、「その地に留まり斉王となるように」と進言した。劉邦に対抗し天下取りに向けて動けというわけだ。劉邦は下剋上の動きを察知して激怒する。
チャンスでの逡巡
項羽は事態を重く見た。劉邦、韓信に挟撃されて将兵を次々に失う。切羽詰まった項羽は使者を韓信に送り、直言する。
「天下の行方を握るのは、韓信様であります。あなたは劉邦の下にいる器ではありません。劉邦の漢、われわれの楚、そしてあなたの斉で天下を三分するのが得策かと」
項羽の使者はこうも言った。
「『天が与えるものを受けなければ、かえって罰を受け、時期が熟したのに断行しなければ、かえって禍を受ける』と申します。熟慮されますように」
事態がここまでくれば、韓信とて劉邦の下で安逸な地位を守るのは難しい。一か八かの大勝負に出るしかない。しかし、韓信は、独立の機会をみずから捨てる決心をする。直ちに返答した。
「劉邦殿は、私を厚く遇してくれた。どうして利を追うて義にそむくことができようか」
使者は言う。「いま貴方は、忠信を尽くして劉邦殿と交わろうとされても、昔のように緊密にはなれません。争いの種は多い。貴方は間違えている」。
利より義を優先させた韓信。しかし、事態は進展していた。それがどのような事態を招くことになるか、韓信がそれを知るには、多くの時間は必要なかった。
一瞬の逡巡によって、忠義を尽くした主君から手痛い仕打ちを受け、天下は手のひらからこぼれ落ちていく。(この項、次回に続く)
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『中国古典名言事典』諸橋轍次著 講談社学術文庫
『世界文学大系5B 史記★★』司馬遷著、小竹文夫・小竹武夫訳 筑摩書房
『中国古典選21 史記四』田中謙二・一海知義著 朝日新聞社