リレー競技好きの淵源
われわれ日本人ほどリレー競技好きな国民はいない。オリンピックでもアジア大会でも、陸上、水泳のリレー競技が放映されるとテレビの前で釘付けになる。
二年前のリオ五輪。陸上競技の花である男子百メートル決勝に残った日本人選手はいなかった。しかし、4✕100メートルリレーでは、日本代表は見事、ウサイン・ボルト擁するジャマイカに肉薄して銀メダルを獲得する。
選手たちは練習時間の多くをバトンリレーの技術を磨くのにかけた。そして出された好成績にアナウンサーは絶叫する。「四人の見事なバトンワークの勝利です」。どうやら日本人は個人の力量よりチームワークにドラマを見つけたがるようだ。
関係性の強弱による三重の同心円
社会人類学者の中根千枝は、日本人の社会認識の特性として、ウチとソトの同心円的な構造を見出している。
まずは、一定の場を共有する身内の集団がある。「自分にとって最も重要な仕事」を媒介として形成される。農村で言えば農事で協力関係にある集落であり、会社社会なら最小戦闘集団の小隊にあたる課の単位である。
「目的を共有し、同じ釜の飯を食う仲間」だ。価値観は共有しており、わがまま、甘えが通じる間柄にある。
意識を共有できない成員は、嫌がらせを受けて排除される。
その外側に、会社全体、あるいは業界があり、まずは共通の価値観が通じる社会だ。
さらに外側はというと、これは「ソト」の世界で、甘えが通じないから無視の対象だ。
こうした社会では、集団に帰属すれば、集団のために「我(が)」を押し殺す我慢が美徳とされ、「和」が重視される。
選手個人の理想、都合よりも、リレーチーム、競技団体の利害を優先するのが美徳とされる。近ごろ、各競技団体で噴き出している問題もそこに遠因があるのではないか。
しかし、時代は変わりつつある。あなたの会社でも周囲を見渡してみるとわかるだろう。若い社員たちは職場の慰安旅行を嫌い、説教を食らうことが予めわかっている上司との退勤後の居酒屋を忌避する。
若者の意識は、集団の和よりも、個の価値観、自分の時間を優先させるようになってきた。会社、団体のしがらみを嫌い、個人同士のネットワークでつながるようになってきた。
ソトなる現場を軽視する風潮
ウチ・ソト社会の弊害は、企業社会のあり方にも及ぶという。集団のメンバーの志向は、ウチへウチへと向かう。ものづくりの現場、支社、支店よりも、本社の企画部門が格上と認識されている。優秀な人材は、本社中枢に集まり、現場が軽視されることになる。
「海外に飛ばされた」「現場に左遷される」。そう思ってヒヤヒヤしていませんか?
ソトに興味を示さない異様な組織はやがて活力を失うことになる。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『適応の条件 日本的連続の思考』中根千枝著 講談社現代新書
『甘えの構造』土居健郎著 弘文堂