menu

経営者のための最新情報

実務家・専門家
”声””文字”のコラムを毎週更新!

文字の大きさ

人間学・古典

第51回 「彫刻家・平櫛田中」

令和時代の「社長の人間力の磨き方」

 平櫛田中(ひらぐし・でんちゅう。1872~1974)。明治初期から昭和の末まで107年間に及ぶ長い人生の死の直前まで製作を続けた「彫刻家」である。中でも得意とした木彫は、水分が木に残っていると歪みやひずみが出るため、数年単位で乾燥をさせる必要がある。田中は百寿を過ぎてなお、10年以上先に使うための素材を集めていたという。

 

 昭和12(1937)年には帝国芸術院会員(現在の日本芸術院会員)に選ばれ、19年には当時存在していた宮内省が、美術家や工芸家を顕彰する「帝室技芸員」(昭和22年に廃止)にも選ばれている。昭和37年、90歳の折に文化勲章を受章、美術家としての栄誉・栄典を極めたが、その発想や行動は、紛れもなく優れた職人と同一だと考えざるを得ない。単なる呼称に過ぎないが、ともすると優れた職人は一流の芸術家を超える例が、この平櫛田中だ。

 

 現在、建て替えを前に「さよなら公演」を行っている半蔵門の「国立劇場」。その名の通り、国が歌舞伎や人形浄瑠璃(文楽)などの積極的な上演、継承のために建設した劇場で、一番大きな大劇場のロビーには、田中の手による歌舞伎舞踊『鏡獅子』の大作がガラスケースで観客を迎えている。

 

 モデルになったのは大正期から昭和にかけての歌舞伎を支えた名優・六世尾上菊五郎(1885~1949)。舞踊の名手でもあり、作品のモデルとして不足はない。昭和11年、この大作の制作を開始した田中は、菊五郎の舞台に25日通いつめ、観る日により場所を変え、さまざまな角度から動きをくまなく観察した。

 

 このエピソードが真骨頂を発揮するのはずいぶん後になる。公演を終えた菊五郎をアトリエに招き、いろいろなポーズをさせ、その様子を写し取ったのだが、その折、菊五郎は「褌一丁」でポーズを取らされたという。菊五郎とて天下の名優で、いきなり褌一丁になるいわれはないが、その理由が、何枚もの衣裳の下で、筋肉がどう動くのかを観察したい、との理由を聞いて即座に納得したと言う。まさに、「一流は一流を知る」という話だ。

 

 ところが、この『鏡獅子』、これだけの手間を掛けながら、田中は制作を中止してしまう。完成をみたのは昭和33年、実に20年以上を経てからのことで、その時、既に菊五郎はこの世にはいなかった。しかし、私のようにその舞台を生で観たことのない者にでも、息遣いが伝わりそうな入魂の名作である。

 

 ちなみに『鏡獅子』という舞踊は、舞踊の中でも難曲として知られている。御殿の広間で10代の可愛い小姓が踊りを強制され、恥じらいながら踊り始める。やがて夢中になって踊っている間に、手に取った獅子頭にその身を奪われ、一旦舞台から引っ込む。つなぎの舞踊の後、後半は衣裳も化粧もガラリと替え、獅子の精となって登場し、長い毛を振りながら勇壮な動きを見せる、1時間を超える大作だ。田中が彫ったのは、後半の「後(のち)ジテ」と呼ばれる獅子になってからの姿だ。今にも動き出しそうなその勢いは、「躍動感」などという軽い言葉では到底表現できないほどの物で、一見をお勧めしたい。たとえ歌舞伎や舞踊に縁のない方でも、何の説明もいらない程の作品だ。

 

 話は変わるが、面白い統計がある。確たる理由の解明は専門家にお任せするが、美術関係の仕事に携わる人々は、文筆家よりも遥かに平均寿命が長い、というものだ。ストレスの問題なのか運動量なのか、何が要因かは分からないが、後者に携わる者としては感覚的には納得できるような気がする。

 

 まだ「人生百年」などは夢の彼方だった時代に、色紙を頼まれると、田中は「不老 六十七十ははなたれこぞう おとこざかりは百から百から わしもこれからこれから」と書いたという。それを実現して見せるのは容易なことではない。また、「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」との言葉も好んだ。これには一言も反論の余地はない。

 

 平櫛田中の偉大な点はもう一つある。自らが師事していた岡倉天心(1863~1913)が創立した東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授として、戦中・戦後と教壇に立って後進の育成に励んだことだ。こと「芸術」に関する分野の仕事は、教えて教えられない部分や形のないところにその要諦があるとも言える。しかし、その難しさや教える煩わしさを厭うことなく、自らの知識や技術を惜しみなく披露して後進を育てようとした。ここには、幕末から明治を生きた師・天心の「想い」や「眼」があったはずで、こうした形でも芸術は継承されるのだ。

 

 自分が体得したものは、人に分け与えてもなくなることはない。その真実を知っていただけではなく、若者と共に新たな技法や作風に挑戦しようという柔軟さも、長い寿命を支えるのに大きな影響を与えたのではないか。生家のある岡山県井原市、晩年を過ごした東京都・小平市に美術館があり、作品を展観することができる。

 

 80年以上にわたり我が道を一筋に歩んだ田中の作品や生き方に、「日本人の精神」が見えるのは私だけではないはずだ。

第50回 「余韻のない時代」前のページ

第52回 「江戸のファストフード」次のページ

関連セミナー・商品

  1. 社長が知るべき「人間学と経営」セミナー収録

    音声・映像

    社長が知るべき「人間学と経営」セミナー収録

関連記事

  1. 第33回 「東洲斎写楽の不思議」

  2. 第29回  「なぜくだらない物なのか」

  3. 第50回 「余韻のない時代」

最新の経営コラム

  1. 第139回 定年後の再雇用と同一労働同一賃金

  2. 第167回 2025年のAI

  3. 国のかたち、組織のかたち(26) 民意のありか

ランキング

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6
  7. 7
  8. 8
  9. 9
  10. 10
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6
  7. 7
  8. 8
  9. 9
  10. 10

新着情報メール

日本経営合理化協会では経営コラムや教材の最新情報をいち早くお届けするメールマガジンを発信しております。ご希望の方は下記よりご登録下さい。

emailメールマガジン登録する

新着情報

  1. 仕事術

    第129回 日本の超高画質映像技術でデジタルアート新時代
  2. マネジメント

    挑戦の決断(13) 圧倒的な敵と戦う(内乱最終決戦でのユリウス・カエサル)
  3. ブランド

    イメージ戦略の一般論と罠 その2「パワー・タイの罠」
  4. 人事・労務

    第10講 WILLとMUSTをCANに変える:配属に不満がある社員とどう関わるか
  5. 社員教育・営業

    第18講 カスタマーハラスメント対策の実務策⑤
keyboard_arrow_up