【意味】
手本になる3種類の友がいる一方で、手本にならない3種類の友もいる。
【解説】
有益な3種類の友とは、直(ちょく)・諒(りょう)・多聞(たもん)の人であり、有害な3種類の友とは、便辟(べんぺき)・善柔(ぜんじゅう)・便佞(べんねい)の人です。
まず、有益な3種類の友。
直は、正直な人、
諒は、誠実な人、
多聞は、博学な人・・・をいいます。
続いて、有害な3種類の友。
便辟は、何事も都合よく避けてしまう人、
善柔は、意志が軟弱な人、
便佞は、お世辞上手な人・・・となります。
有益な友との接触を多くし、有害な友を避けると考えがちですが、そのような単純な交友の捉え方ではありません。人間は、善人を自負する人でも時には陰湿な態度を取り、日頃誠実な人物であっても時には裏切りに走ります。だから単に善人悪人の潔癖交友や損得交友では誰もいなくなってしまいます。有害だと思う友でも交友を深め、清濁併せ呑む度量で良い方向に導いてやる気持ちが大切になります。
金回りが良く友人と遊んでばかりですと社交性は身に付きますが、生活に落ち着きがなくなり、軽い印象の人物になってしまいます。逆に有り難いことは金も無く友人も少なければ、慎独時間が増えて勉強ができます。
「孤独こそ自己鍛錬の時」(俗諺)と云われますが、交友の縁のない寂しさを嘆くよりも、孤高を保ち独りを味わう絶好期と考えたいものです。人物器量が備われば人は自然に寄ってくるものですから、友人の少ないことを心配する必要はありません。
与謝野鉄幹(1873~1935)の「人を恋(こ)うる歌」には、次のフレーズがあります。
「友を選ばば、書を読みて、六分(りくぶ)の侠気、四分(しぶ)の熱・・・」
友人としてどのような人物が理想的かを歌ったものです。侠気とは正義感に富んだ人物ですから、友人を選ぶなら、読書を好み、正義感に富み、情熱のある人物が理想だということです。
余談ですが、この歌の3番に「簿記の筆とる若者に まことの男 君を見る」とあります。
私は23歳の時に銀行を退職し税理士を目指しました。高卒の学歴ですから難関の日本商工会議所が主催する簿記検定1級に合格しなければ受験資格が与えられません。単身上京し、友達も彼女もいない中を必死で簿記の勉強に励みました。スランプに陥り合格に不安を抱いた時など、この「簿記の筆とる若者に・・・」の歌詞を繰り返し、元気を回復させました。
簿記会計学は、明治の文明改革論者の福澤諭吉(1834~1901)が近代日本に必要な学問として紹介した学問です。鉄幹は福澤より40年も後に活躍した人物ですが、鉄幹のこの名歌により、どれだけの若者が学問の挫折から救われたと思うと頭が下がる思いです。