【意味】
書物は暗誦するくらい読みこまなければいけない。
【解説】
「宋名臣言行録」からの言葉です。
著作物は書き手側が精魂込めて書き上げた名著であっても、その手元を一旦離れた後は読み手側の領域に移ってしまいます。つまり読み手側の読解力の水準に応じて著作物の内容が理解されるのです。
例えば、筆者の書棚にも10冊の英会話本がありますが、うちじっくりと勉強した本は3冊しかありません。残りの7冊はこれらの著者には恐縮ですが、習い手側の稚拙な勉強水準を棚に上げて云えば、役に立たなかった評価の低い本となります。
「名著は、人類の貴重な文化財産」(俗諺)と云われますが、各人が適切な読書法を身に付けて財産の値打ちを引き出さなければ、名著もただの紙切れとなってしまいます。
筆者が主宰する「人間学読書会」では、次のような3種類の読書法を勧めています。
1. 新聞や推理小説などの簡単な読書・・・・・・黙読法(目読)
2. 単純知識の理解や暗記を目的とした読書・・・熟読法(精読)
3. 複雑な知識思想の理解を目的とした読書・・・*第2の著者になる気持ちの読書法
*「第2の著者になる気持ちの読書法」とは?
(1)机上を整理してペンや辞書も用意し、特に紙面文字と自眼の適正距離を維持する
(2)理解不能箇所は無理しないで次回に回す(無理して読めば読書意欲が萎えるから)
(3)重要箇所に側線と章単位の一連番号を付す(読み込みが弱いと番号が付けにくい)
(4)欄外へ感想・日付・年齢を記入(時間を要するが、第2の著者になるポイント)
(5)番号箇所の言葉や要約文を筆ペンで和紙に清書する(同上)
(6)最後に表紙裏に読後感(日付・年齢も)を書き込む(同上)
難解な書物ほどこの読書法を繰り返しますから、自然に書き込み量が多くなり、読み手としての愛着が生まれ、手放せない座右の一冊になります。こうなれば"自分が第2の著者になりかけている!"という実感が生まれ、学んだ真理が不思議と日常生活でも実践できるようになります。これを「読書内容の血肉化」と云います。
我々の会も25年以上回を重ねており、会員の間では様々な読書法が開発されていますので、ここに一部を紹介します。
一つは「著者に敬意を表した謙虚な読書法」です。読者が謙虚な気持ちになれば"心に大きな空間"ができ、この空間に読んだ知識が自然に溜るという発想です。著者よりも高い立場での読書や批判精神一杯のケンカ腰の読書では、読書の体を成さないということです。
もう一つは、人間種族の形成者を意識した「承・活・伝の読書法」です。まず先人からの学びを承り、それを自分の生活で更に向上活用させ、これを更に次世代に伝承する・・この3段階を意識した読書法です。自分の人生だけを有利にしたいという読書法では、まだまだ人類文化の形成者意識に欠ける狭い了見の読書法に留まっていることになります。