【意味】
猜疑心によって罪なき人を殺した。だから国を長く保つことができなかった。
【解説】
「宋名臣言行録」の言葉です。猜は疑うこと、忌は嫌うこと、辜は罪人ですから無辜は無実の人のことです。
古くから地位のある人の周りには、次の三種類の取り巻き関係者がいるといわれます。
・(有能+好感)の人・・・「信頼の人」
・(無能+好感)の人・・・「無害の人」
・(有能+嫌悪)の人・・・「危険な人」
注:(無能+嫌悪)の人・・取り巻きの対象外の人
取り巻きに対する信頼度は、相手側の才能よりも自分側の好悪の感情で左右される場合が多いようです。タレント等に対する一方通行の好悪感情と異なり、職場内の人間関係は双方協力が必要ですから、好悪感情に左右されない冷静な人物眼で対処すべきです。
「疑心は暗鬼を産む」(俗諺)とありますが、猜疑心が鬼のごとき嫌眼短所や怒眼短所の見方をさせますから、本人も気付かないうちに疑い深い狭量的な人物になってしまいます。そして更に「対者我映の原則」により、こちら側の猜疑心が相手側に伝播し、相手側も同様に猜疑心を持つようになります。こうなりますと、相互に悪循環を生じ強固であった信頼関係も疑いの関係に変ってしまいます。
まして権限強大な帝やトップの猜疑心は、我に逆らう者に対して処罰・降格・左遷に進みます。当然掲句のように「無辜を殺す」という悲劇も招き、臣下や部下からの恨みを買い信頼関係は崩れ、組織を長く保つことができなくなります。
現代人は権利意識が旺盛ですから、些細な権利侵害も不平不満を持ち、「嫌眼短所」や「怒眼短所」の見方になりがちです。これとは反対に、思いやりの眼で相手の長所を見ることを「仁眼長所」の見方といいます。「笑う門には、福来る」といいますが、トップの影響力を考えますと、可能な限り仁眼で長所を視て、笑顔を保って幸福を引き寄せるという「日常生活での工夫」が大切になります。
次の句は、主宰する『人間学読書会』の300回を記念してできた「日常生活の四源句」です。(1)我が心の受容力を天地自然の水準まで高め、(2)この受容力から生ずる仁眼で周囲の長所を視て、(3)多くの長所に支えられている自分に感謝し満足し、(4)この満足心を報恩エネルギーに転化するというものです。取り組み1カ月で元気な生活態度に生まれ変わります。
=日常生活の四源句=
置・自懐天懐(自懐を天懐に置く)・・自分の懐を天の懐に合わせて、大きな心を持ち、
視・仁眼長所(仁眼で長所を視て)・・思いやりのある仁眼で自分や他人の長所を視る。
転・感謝満足(感謝を満足に転じ)・・自然に感謝心が生じるから、これを満足に転じ、
産・報恩活力(報恩の活力を産む)・・満足心が恩返しの気持ちを産み、活力に繋がる。