【意味】
自分の仕事を敬いの気持ちですれば、周りから信用を得る。
【解説】
30代のエリート社員が入院しました。出世に遅れを取った不幸を嘆き、回復の遅れも病院の不適切な治療にあるのではないかと疑い、周りに対しての不平不満の塊でした。
しばらくして同室の学生が亡くなりました。自分も死への不安を抱きながら、その若者と自分の双方の立場から人生を考えてみました。仕事を経験しないで亡くなった若者の無念さに比べ、自分の仕事の体験は素晴らしいものと思えました。そして職場や同僚に助けられての仕事であったと気付き、感謝の念で涙が止まりませんでした。
その後障害が残ったものの無事に退院し、トップに上りつめた彼は自社の社員に云います。「周りに感謝すると死に際の命までも甦る。周りへの感謝の仕事ができれば、相互の信頼が増してお互いが有能社員に変身する」と。
どんな仕事にも社会に役立つ部分があるから、自分の仕事の社会貢献を冷静に分析することです。特に仕事に自信を失った時には、意識して自分の仕事の社会貢献を少し大げさに評価します。すると不思議なもので「自分も社会を支える形成者の一人」が自覚できて、世の中に役立っているという自信が回復します。
70過ぎのお爺さんが小学校近くの交差点で交通整理をしています。お礼を兼ねて話し掛けると、「人口減の日本だからと云って、今更男のワシが女性に子供を産ませるわけにはいかん。せめて子供たちが安全に育つ手助けをと思い・・」という明るい言葉が返ってきました。
筆者も毎朝40~50分を掛けて、職場の周辺道路で吸殻などのゴミを120個程拾います。自分でも不思議ですが本来業務よりも真剣に一心不乱に拾います。どんなに丁寧に拾っても翌朝にはまた散らかっていますが、毎朝嬉しい気持ちで挑戦しています。
「担雪埋井」とは、雪を担って暖かい井戸を埋めることで、永遠に繰り返す無駄骨作業の例えです。ゴミ拾いも担雪埋井と同じで、損得勘定をすれば一銭の利益にもなりません。しかし金に換えられない多くの利益が生じます。例えば(1)近所や通行人からの丁寧な御礼の挨拶、(2)一日120回の足腰屈伸の鍛錬、(3)傘・工具など興味ある拾得物、(4)少々体調が悪くてもゴミ拾い後には極めて爽快な気分にしてくれることなどです。
一般的に仕事は「相手に役立つ業務」であり、その業務の質や量に着目されるべきものです。しかし現代の経済社会では、対価報酬の有無により「有償業務」と「無償業務」の区別が優先され、仕事の質量よりも報酬の多寡に惹かれて頑張る傾向があります。このような姿勢で仕事に取り組むクセを付けますと、何時しか本来の業務力が低下してしまいます。
無償業務とは、東洋ではこっそり良いことをする「陰徳実践」であり、西洋では「ボランティア活動」となります。掲句でも「・・信なり(周りからの信頼を得る)」とありますが、無償で真剣な仕事ができることは、余程の水準の人物でなければ不可能なことです。
年寄り自慢となりますが、72歳の筆者のゴミ拾いも15年間で30万個を超え、お蔭様でゴミ拾いを楽しんでいる人々の中では一流の領域に近づいているのではと思っています。