資源を無駄にしないという意味合いを考えた場合、選択肢はいくつかあり、地球に悪いものを撒き散らかさない、今ある資源を有効活用するというのは、とても効果的な選択肢と言えるでしょう。
私はフランソワと出会うまで、あまり草のことなんて考えたことはありませんでした。しかし、草に興味を持ってみますと、世界観が変わります。例えば、庭を見るとニラが生えています。あるいは、フランソワがワークショップでサラダに使っていた、カタバミがうじゃうじゃと力づよく、生えています。私の庭を見る限り、四季折々で色んな草が生えていて、考えてみれば食材の宝庫だと気づきます。「灯台下暗し」とはこういうことを言うのでしょう。
ということで、お世話になっている『平八茶屋』の園部さんの御世話になり、日本の摘み草料理のパイオニアの『草喰なかひがし』に定期的に勉強に行っております。
フランソワによれば、ヨーロッパも昔は野草を食べる習慣があったが、今は無くなってしまったと言います。確かに、プロヴァンスの標高1,200mくらいの山を歩いていますと、レタスの原種がレタスとは思えない姿で自生しておりました。食べるとレタスの味がして非常に感慨深いものがありました。野菜という形で商業ベースにのせるために肥大化させて、その代償として栄養価を落としたそうです。
日本では野草というと多くの人は“山菜”とか“ハーブ”という言葉を想起すると思います。実際、私もそうでした。フランソワのワークショップに参加すると、野草の新芽がおいしいものが多く、新芽以外は毒があるものもままあることがわかります。私たちは春先に芽吹く新芽をおいしさと体のバランスを保つために食したのだと思います。
久雄さんの言葉で印象的だったのは、「草というのは雪が降っていても、雪の下に草は生えているし、年中あるのです」という言葉です。確かに、植物は年中生えています。ちょうどこの間、秋に行った時は、キノコの季節で、珍しい松茸より希少と言われる香茸や赤やまどり茸(ポロチーニ)のようなキノコがいっぱい使われていました。そのポロチーニをネバネバしたソースにしたりして、とても面白かったです。印象的だったのは本モロコのおいしさ。野蒜が添えてありました。それと、鹿ですね。肉汁が溢れ、すばらしい焼き加減でした。
『草喰なかひがし』の鳥のすき焼きは、久雄さんが、2月くらいからこの間行った11月まで、委託してひよこから育てたという長期肥育の鳥です。その鳥を内臓まで入れて、『中川一辺陶』にいらした人の窯を使って、白醤油で味付けしただけで焼き上げるすき焼きを提供していただきました。蒸し焼きにした山形県由来の京都産赤葱(葱の原種に近いものらしい)はクセ(葱くささ)がなくて鶏と相性がよかったです。
出汁で伸ばした玉子でヒタヒタにしていただくのですが、これがまたおいしくて、食べ終わると最後にご飯を入れてくれまして「ひょっこりひょうたん島」とか言って出してくれるのですが、まあ雑炊のような、TKG、卵かけごはんのようで、料理の完成度が高く、至福の時を過ごさせていただきました。これだけで店が成立しそうなお料理でした。