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- 高橋一喜の『これぞ!"本物の温泉"』
- 第29回 熊の湯温泉(長野県) エメラルドグリーンに輝く宝石の湯
■スキー場の目の前に湧く「究極の濁り湯」
温泉は、透明な湯ばかりではなく、乳白色や赤茶色、黒色、飴色、青色……などさまざまな表情を見せてくれる。
「日本一美しい色の温泉はどこか?」と尋ねられたら、私は「熊の湯温泉」と答える。熊の湯温泉は、長野県北東部・志賀高原に湧く山の中の温泉地。幕末の蘭学者・佐久間象山が発見したとされる。「熊の湯」という名前は、熊が傷を癒すために浸かるのを目にしたという伝説に由来する。
熊の湯温泉には、温泉街はない。熊の湯温泉といえば、一軒宿の「熊の湯ホテル」を指す。ヨーロピアンな雰囲気をもった大型のリゾートホテルで、日本のトップスキーヤーたちが集まる熊の湯スキー場が目の前に広がる。11月~5月まで半年間スキーが楽しめる日本屈指のゲレンデである。
日本屈指なのは、スキー場だけではない。温泉も日本屈指の質を誇っている。「小さい施設、小さい湯船ほど温泉の質がよい」というのが私の持論だが、熊の湯ホテルには、この法則は当てはまらない。
客室数90室、収容人数450名の建物は巨大で、フロントのあるロビーも広々としている。客室や収容人数が多いと、湯船を大きくしたり、湯船の数を増やしたりしなければ、お客のニーズに応えられない。そうすると、必然的に膨大な量の温泉が必要になる。湧出量が少ない源泉であれば、行き着く先はひとつだけである。循環ろ過装置によって、湯を使い回すしかない。だから、「大きい施設、大きい湯船ほど温泉の質が悪い」という事態になる。
■上品な硫黄の香り
しかし、熊の湯ホテルの温泉は、正真正銘の源泉かけ流し。ホテルの中庭から毎分72リットル湧き出す源泉は新鮮だ。
男女別の内湯の浴室は、総檜づくり。清潔感がある一方で、温泉場としての風情も醸し出す、すばらしい浴室だ。
浴室の扉をあけると、硫黄の香ばしい匂いが、ぷーんと漂ってくる。一口に「硫黄の匂い」と言っても、鼻が曲がりそうな強烈な匂いから、スイートなやさしい匂いまで、いろいろな種類があるが、熊の湯ホテルの硫黄臭は、どことなく上品で、不快感がない。私が好きな硫黄の香りだ。
15人ほどが浸かれそうな木造の湯船からは、硫黄泉があふれ出している。このくらいのゆったりサイズの湯船であれば、混雑時でも芋の子を洗う状態にはならないだろう。湯船に浸かり、手のひらに湯をすくって匂いを嗅ぐと、硫黄の香りが鼻の奥にツーンと抜けていく。
■「入浴剤」と勘違いするような美しい色
匂いだけではない。熊の湯温泉の最大の魅力は、その美しい色にある。全国的にも珍しいエメラルドグリーンの透明湯。エメラルドグリーンの湯といえば、岩手県の国見温泉の名も知られているが、熊の湯温泉のほうが透明度は高く、美しさではこちらが上だと思う。
とくに、露天の岩風呂は日光に照らされて、キラキラとまるで宝石のような美しさを放っている。見ているだけで、幸せな気持ちになる。
熊の湯温泉の近くには、いくつかの温泉地が点在しているが、ほとんどが透明の湯で、エメラルドグリーンの温泉が湧き出しているのは、ここだけである。いろいろな条件や偶然が重なって、この美しい色ができあがったのだろう。まさに自然がつくりあげた「芸術」である。
私が湯船の中で感動に浸っていると、あとから入ってきた少年が、温泉を見て言った。「パパ! この温泉、入浴剤が入っているよ!」。勘違いをするのも当然だ。だって、こんな色の温泉はめったにないのだから。
父親はすぐさま「これは温泉だよ」と訂正するが、少年の耳には届かなかったようで、続けてこう言った。「パパ、うちの入浴剤よりいいやつだね! だって、匂いも本物っぽいよ」。どうやら温泉の質の高さは、子どもにもわかるようだ。