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経済・株式・資産

第183話 「脱中入米」~日本製鉄の決断とそのリスク~

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 日本製鉄(以下、日鉄と略称)は昨年12月18日に、米鉄鋼大手USスチールを買収し、同社の全株式を約2兆円で取得して子会社化する方針を発表した。
 今年7月23日に、日鉄は、世界鉄鋼最大手中国宝武鋼鉄集団の子会社「宝山鋼鉄」との自動車向け鋼板合弁事業を解消すると発表した。

 この日鉄の一連の決断を読むキーワードを「脱中入米」と、筆者が名付ける。本稿は日鉄の「脱中入米」の背景及びその潜在リスクを検証する。

 

宝山鋼鉄との合弁事業が「成長困難」

 日鉄と宝山鋼鉄は2004年に自動車用鋼板を製造販売する合弁会社「宝鋼日鉄自動車鋼板」を設立した。合弁期間は20年、主な顧客は日系自動車メーカーと想定していた。

 近年、中国電気自動車(EV)の台頭で日系自動車メーカーに苦戦が強いられている。2023年にトヨタ、ホンダ、日産自動車、スバルなど日系4社の中国での販売は前年比7・7%減の394万3435台で、3年連続で前年実績を下回った。

 今年も日系メーカーの悪戦苦闘が続く。1~6月、トヨタは▼10.8%、ホンダ▼21.5%、日産▼5.4%と、販売台数が減少している。日系メーカーは台数、収益の両面で苦しい状況に陥っている。

 日系メーカーの巻き返しには少なくとも数年かかる見通しだ。そこで日系メーカーは、相次いで構造改革に着手している。

 三菱自動車は2023年に現地法人の業績悪化のため中国撤退を発表。ホンダは中国国有大手の広州汽車集団との合弁企業である広汽ホンダ(広東省広州市)の第4工場を10月に閉鎖する。東風汽車集団との合弁企業の東風ホンダ(湖北省武漢市)の第2工場も11月に休止する。日産自動車も一部工場を閉鎖した。筆者が昨年11年に訪問した天津トヨタはガソリン車生産ラインの一部を稼働停止している。

 言うまでも日鉄の経営陣は、合弁事業の主な顧客である日系自動車メーカーの中国撤退や減産などを背景に、宝山鋼鉄との合弁事業が今後も「成長困難」と判断し、合弁解消という結論に至った。

 今年7月、日鉄は合弁契約の期限(今年8月29日)が切れる前に、合弁解消・事業撤退を決断した。折半出資する合弁会社「宝鋼日鉄自動車鋼板」の持ち分を宝山鋼鉄にすべて売却し、売却額は約377億円と見られる。

 

合弁解消に先立つUSスチール買収

 宝山鋼鉄との合弁事業を解消するもう1つ決定的な要素は、日鉄による米鉄鋼大手のUSスチール買収と見られる。

 日鉄は昨年12月18日に、USスチールを買収すると発表した。米国は先進国最大の市場であり、鉄鋼需要が安定的に伸びると見込まれている。日鉄は、両社グループの技術力を生かして高性能鋼材の生産を拡大する思惑だ。

 しかし、この買収案件をめぐり、米国で早くも逆風が強まっている。全米鉄鋼労組(USW)が反対する声明を発表し、バイデン大統領もトランプ前大統領も反対を表明している。

 日鉄側が特に懸念するのは、ルビオ議員ら野党共和党の有力議員3人による米政府宛書簡だ。この3人は翌日の19日に、買収には国家安全保障上の懸念があるとして、政府に阻止を求める書簡を送付した。周知の通り、ルビオ上院議員は有名な反中強硬派であり、彼らは日鉄と中国政府の緊密関係を問題視している。今年11月の米大統領選を絡んで、日鉄によるUSスチール買収は政治問題化する様相を示している。

 そこで日鉄はこの買収を成功させるために、奇抜な行動に動き出した。今年7月20日に、日鉄はトランプ政権時代の米国務長官ポンペオ氏をアドバイザーに起用したと明らかにした。周知の通り、ポンペオ氏は強硬反中派として知られ、2021年1月21日より中国政府の制裁対象ともなっている。続いて日鉄は3日後の23日に宝山鉄鋼との合弁事業を解消すると発表した。

 米中対立の激しさを増している最中に、日鉄のUSスチール買収及び中国との合弁解消は企業戦略と資源を中国から米国に集中し、「脱中入米」を意味している。

 

「日中協力」から「日中競合」へ

 日鉄と宝山鋼鉄の合弁事業は日中経済協力のシンボルだった。日鉄による合弁解消は「日中協力」の時代が終わり、「日中競合」の時代が始まった象徴とも言える。

 日鉄の前身である新日鉄は、日中国交正常化後の経済協力の目玉として1977年に建設が始まり、85年に完成した中国・上海市の「宝山製鉄所」に技術協力してきた。

 1978年10月、中国の最高実力者鄧小平氏が来日し、当時の福田首相と一緒に「日中平和友好条約」相互批准書交換式に参加したほか、新日鐵や日産自動社、パナソニックなど、日本の代表的な企業を精力的に訪問した。

 鄧氏は千葉県の新日鉄君津製鉄所を視察した際、熱延鋼板がひっきりなしに引き伸ばされていく壮観な光景をバックに、感無量の様子で「鉄鋼は経済発展の重要な柱だ。これからわれわれもこうした先進的な製鉄所を持つ必要がある」と記者たちに語った。また鄧氏は冗談交じりに新日鉄の稲山嘉寛会長に次のように発言した。「あなた方がわれわれの宝山製鉄所の建設に協力する際は、必ず最新技術をお願いします。もし生徒がうまく行かなかったら、あなた方先生の責任ですよ」と。

 

【写真説明】ヘルメットを被り新日鉄君津工場を見学する鄧小平氏。

 

 その後、新日鉄は宝山製鉄の建設に協力し、関係する企業を含めて技術者や各級管理職など1万人以上を上海に派遣した。山崎豊子の小説「大地の子」のモデルは、まさにこの建設事業であった。宝山鋼鉄は実に日中経済協力のシンボルだった。
日鉄と宝山鋼鉄の合弁解消は、「日中協力」から「日中競合」へ移行する時代の流れを象徴している。

 

無視できない「脱中入米」リスク

 USスチール買収及び宝山鋼鉄との合弁解消という日鉄の「脱中入米」決断は、成功するかどうか? 現時点で予断を許さないが、ビジネスの観点から見れば、その潜在リスクが無視できない。

 これまで企業文化や企業風土の相違によって、日本企業による米国企業買収案件の失敗例が多い。その典型事例は東芝による米原子力発電事業会社ウエスチングハウス(WH)買収案件である。
 2006年に東芝は社運をかけて、約6400億円の巨額資金でウエスチングハウス(WH)を買収した。しかし、10年後にHW社が破産し、東芝も経営破綻に陥った。結局、東芝自身も投資ファンドに買収され、その教訓は甚大だ。

 日鉄のUSスチール買収金額は約2兆円にのぼり、2024年3月期の純利益5493億円の約4倍に相当する。いかに東芝の教訓を生かし、リスクマネジメントを徹底させ、その轍を踏まないことが肝心と思われる。

 米労組リスクも無視できない。周知の通り、米国では労働組合が強すぎる。そのため、多くの外国企業が米企業買収を敬遠している。日鉄はUSスチール買収完了後、同社の労働組合及び全米鉄鋼労働組合とどう向き合うかが買収の成否を左右する。

 もう1つの潜在リスクは中国制裁を受ける懸念だ。前述したように、日鉄は元米国務長官ポンペオ氏をアドバイザーに起用したと発表したが、氏は中国政府の制裁対象となっている。中国外交部スポークスマンによれば、ポンペオ氏及び家族は「中国大陸と香港・マカオへの入国を禁止さ  れる。彼らとその関連企業・機関は中国との取引、商売も制限される」。

 中国外交部の発表によれば、日鉄はポンペオ氏の関連企業に当たる。中国政府に制裁されるリスクが懸念される。日鉄はどう対応するかが注目される。(了)

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