リーマンショック後、客足が遠のき、ただでさえ飲食店は厳しさが増していた。
そこに突如、東日本大震災が襲いかかり、原発事故が勃発。まさに泣き面に蜂だ。
不景気に加え、円高も手伝って、オフィス街の昼飯の弁当が200円台、
牛丼も200円台、ハンバーガーが100円という超デフレが続いている。
金曜日あたりは繁華街にも少しずつ客が戻りつつはあるが、
多くの人の帰宅は早いし、ウィークデーや雨の日は、どの店にも閑古鳥が鳴いている。
しかし、そんな中、逆に時代の風を受け、人気を呼ぶ新業態が登場している。
◆「飲食店成功の絶対セオリー」とは・・・
古今東西を問わず、飲食店には変わらない法則がある。
それは、「人が人を呼ぶ」ということだ。
客が来ている店には、さらに客が来る。
客が来ない店には、いつまでたっても客は来ない。
飲食店の成功は3要素で決まる。「味」「サービス」「雰囲気」である。
「味」については、「飲食」を売る店であるからには、飲み物・食べ物の味と品ぞろえを、
手を変え品を変え、常にレベルアップして行かねばならない。
「サービス」については、客の立場に立って、心のこもった「おもてなし」を心掛けねばならない。
「雰囲気」については、店のターゲットとなる顧客や業態、価格帯によるが、
その店なりの、食事の時間を演出する、清潔で、心地よい空間づくりが求められる。
本来であれば、それらの3つのトータルな「価値」が、「価格」と比べて、
費用対効果が大きい方が人気を呼ぶはずである。
しかし、「味」がそこそこでも流行っている店もあるし、
「サービス」がぶっきら棒だったり、
まるで客が怒られているような店や放置されているかのように感じられる店にも人気店がある。
「雰囲気」も内外装のデザインや照明、テーブルやイスにお金をかければ良いというものでもない。
人は希少なモノ、希少だと感じられるモノに価値を見出す。
ダイヤモンドもゴールドもどこにでもあれば何の価値も持ち得ない。
景気のいい時は、世の中が忙しく、どこもにぎわっているので、
混み合っている人気店でも、落ち着いて静かにリラックスできる雰囲気のところが希少となる。
しかし、景気がここまで落ち込むと、客でにぎわっている店こそが希少となる。
つまり、今、人々は、「にぎわい感」を求めているのだ。
◆デフレに打ち勝つ「新・戦後派横丁」の台頭
人々が「にぎわい感」を求める時代に、
まさに《恐慌》を強行突破する元気な飲食店街が全国各地に台頭しはじめている。
リーマンショック後、東京など大都市を中心に広がり、
震災後、さらに勢いを増しているのが、「横町ビジネス」である。
その元祖は、2008年5月末に、
東京のJR山手線の恵比寿駅の西口から徒歩2分ほどの雑居ビルの1階にオープンした『恵比寿横丁』だ。
http://www.ebisu-yokocho.com/ http://g.pia.co.jp/bimi/ebisu/02.html
焼鳥や串カツ、おでん、お好み焼きなど
様々な業態の10店舗強の飲食店がひしめき合い、夕刻になると老若男女でにぎわう。
一頃は、映画『ALWAYS三丁目の夕日』のような、
昭和30年代風の雰囲気を再現した飲み屋や飲食店街が各地で人気を博していたが、
ここはそれらより古く、戦後すぐの焼け跡にできたバラックの飲み屋街を彷彿とさせる。
言わば、「焼け跡風フードコート」だ。
入口には、戦後、全国各地のどの街にもできた横丁のように、
各店舗名を書いた色とりどりの小さな看板を並べたレトロな施設案内を蛍光灯が妖しく照らし出している。
中に入ると戦後の市場や路地裏の飲み屋街のように、
狭い通路の両側に面して、とびらもなく開かれた、いくつもの店舗のカウンターが軒を連ねている。
店と店の間は壁一枚だけで、コ型のカウンターの中で店の大将ら数名が調理し、
カウンターの周囲に置かれた円イスに腰掛けた客に対してカウンター越しに料理と飲物を提供する。
かつては、このような飲み屋が並んだ横丁は、日本中のどこの街にもあった。
今もその名残が残っているところもあるが、その多くは往時のにぎわいを失っている。
ここは、そういった昔ながらの横丁に、
美味しさや清潔さを加えて現代風にアレンジして再現した「新・戦後派横丁」とも言える。
元々この横丁は戦後にできた「山下ショッピングセンター」という、
青果・鮮魚・食肉などの個人商店が並ぶ公設市場があった場所だった。
しかし、それがスーパーやコンビニに客を奪われ、
バブル崩壊後にはほとんどの店舗がシャッターを降ろしてしまった。
その後、権利関係も複雑化したまま、時代の流れに取り残されていた。
そこをどうにかできないかと依頼を受けた、
横町プロデューサーの浜倉好宜氏が仲間の飲食店経営者や料理人に声をかけて再生したものだ。
実は、彼は私の友人で渋谷の人気カフェ「セボンプラージュ」
http://www.jti.co.jp/Culture/museum/guide/cafe/index.html
http://www.shibukei.com/headline/6064/
のパートナーでもある。
浜倉氏のプロデュースによる『恵比寿横丁』をはじめ、
今や全国各地に続々と新たな「横町」や「横町風」の店がオープンしている。
『有楽町産直飲食街』 http://www.sanchoku-inshokugai.com/yurakucho/
『渋谷肉横町』 http://www.shibuyayokocho.com/
などなどである。
これらの横丁の活況は、戦後から高度成長期、バブル崩壊後の実感なき成長期を経て、
今、再び、らせん階段を一周回って、戦後と同じ位置に来たようにも捉えられる。
◆「トレーラー横町」が続々と誕生
80年代から急速に進んだモータリゼーションと大手流通企業の台頭によって、
各地域の街の中心部にある多くの商店街は打撃を受け、
シャッターが閉まったままの“シャッター街”と化して行った。
これらの新しい横町は、そうした荒廃した中心市街地の活性化や空きテナントばかりの虫食い
雑居ビルの再生に活用できる、
“新・横丁ビジネス”という古くて新しいビジネスモデルでもある。
おもしろいことに、昨今は、モータリゼーションの逆手を取って、
トレーラーハウスを活用した、「トレーラー横町」が続々と誕生しつつある。
その代表が、たこ焼きの築地銀だこが、
東京のJR山手線浜松町駅そばの駐車場に、
2010年7月末に開店した、立ち飲み横丁スタイルの新業態、『ギンダコハイボール横丁』である。
http://www.gindaco.com/contents/top/20100714_hiball-yokotyo.html
http://r.tabelog.com/tokyo/A1314/A131401/13114356/dtlrvwlst/1896011/
http://r.tabelog.com/tokyo/A1314/A131401/13114356/dtlphotolst/P4722670/
新橋の外堀通りにも、3月末、『B級グルメ ギン酒場』を、同様の手法でオープンしている。
http://www.hotland.co.jp/contents/new/110113_ginzakaba.html
いずれも、一見、トレーラーハウスには見えないが、
駐車場の一部の土地にトレーラーを置き、それに装飾をほどこしてある。
トレーラーを一時的に設置しているだけなので、
建築許可も必要なく、空き地さえあれば、いつでも、すばやく、簡単に造れる。
敷金礼金もいらず、店舗の建築費用も大幅に少なくて済む。
諸般の事情で閉店しても、部屋を元の状態に復帰する費用もかからず、
すぐに撤収し、移動して、他の場所に再び営業が可能だ。
土地オーナーにとっても、遊休地や低い地代しか得られない土地を有効活用できるし、
契約が面倒くさく、借主の権利が強い、通常の賃貸借契約に比べて貸しやすいという利点もある。
今後、全国各地の都心部やロードサイドはもとより、
インフラや建物の本格的な復旧にはまだ時間のかかる被災地における
仮設市場やフードコートにも、「トレーラー横町」は有効な手法に違いない。
7月中旬には、震災で壊滅的な被害を受けた石巻市で、商店街の復興支援を目的に、
首都圏などの外食企業7社が、トレーラーハウス16台を並べ、11店舗が集積した「ホット横丁」を開業する。
ステージも設け、定期的に音楽イベントなどを開く。
◆震災後、人が集まる人気店の条件
ではなぜ、新たな「横丁」は、消費者の外食の回数も減り、客単価も下がって、
さらにデフレが追い討ちをかけている、この厳しい外食不況の中で、人気を博しているのか?
その理由は一言で言えば、今の消費者の心理をしっかり捉えているからだ。
まず、消費者の多くは、先行き不透明感から、高そうに見えるお店は敬遠しがちだ。
見た目からして安そうなお店、安そうな施設を選ぶ。
内外装や調度類や什器にお金をかけ過ぎると、その分の経費が価格に上乗せされているように感じる。
そんなことにお金をかけるくらいなら、よりうまい食材や飲物を提供してくれた方がうれしいのだ。
ただ、忘れてはならないのは、店舗のゴージャスさやチープさと、
トイレやテーブルの上などの清潔さは、まったく別物である。
飲食店は飲んで食べるところであり、店舗は常に清潔に衛生的に保たなくてはならない。
そして、冒頭にも述べたように、不況になると、人々はにぎわい感を求めるものだ。
景気の良い時は、世の中も忙しいので、人々はゆったりとした静けさを求める。
しかし、景気が悪くなると、人々は人恋しくなり、お祭りのような高揚感を感じたくなる。
昨今は、どの業種のどこの企業にも、なかなか注文の電話などかかって来ない。
森の泉のように、し~んと静まりかえったオフィスに、久々に電話が鳴り、社員で奪い合って取ったら、
契約の解約か、クレームの電話だったりする。
間違い電話でもうれしくなって相手と話し込んだなどという笑えない話も聞く。
せめてプライベートだけでも、ワイワイとにぎやかな活気のある店でウサを晴らしたいと思うのが人情だ。
しかし、見た目が安そうで、にぎわっていても、入りやすくないと、常連以外の客は増えない。
そして、ここまで経済が厳しさを増して来ると、常連さえ減って行き、ジリ貧になってしまう。
例えば、古くからサラリーマンの聖地と言われる
新橋のガード下の焼鳥屋や新宿の小便横丁や渋谷の呑んべい横丁なども、
カップルや女性同士はもちろん年配の男性でも誰か常連の人の紹介がないと意外に入りづらいものだ。
今は昔と違って、学生時代も社会人になってからも、先輩が後輩を飲みに連れて行くことが減ってしまった。
若い男性は縦社会ではなく横社会で生きている。
その結果、お店が伝承されないので、そういった店の多くは年配の男性の常連客だけになってしまい、
見た目とは異なり、目に見えない高い敷居が新しい客の来店を妨げることになる。
その点、新しい「横丁」は、新装開店したばかりなので、客の間にヒエラルキーもなく、
老若男女が誰でもいちげんで入れるのだ。
また、逆に客にとって、なじみになりやすい店が顧客をリピーターにし、囲い込みにつながる。
30代以下の若い世代はファーストフードやファミリーレストランなど
チェーン店ばかりの機械的なサービスで育っているため、なじみの店を持っていない人が多い。
それに、一人っ子が多く、学生時代にクラブ活動などを真剣にやった一部の人を除いて、
集団の中でもまれていないため、総じてコミュニケーション力が低い。
その点、こういった横丁の店はカウンター越しに店主やスタッフとの会話が自然に盛り上がるので、
いつの間にか、なじみになっている。
人間は人恋しくなったり、ムシャクシャした時には、
一緒にいて話を聞いてもらえる人がいるだけでストレスの軽減につながるものだ。
これこそが昔からある赤ちょうちん居酒屋の効用に違いない。
今、その現代版が求められているのだ。
◆心を求める時代の街のともしび
バブル崩壊直後にも様々な屋台を集めた「屋台村」が各地にできて繁盛した。
新たな「焼け跡風横丁」も同様の和風フードコートの一種にも見えるが、似て非なるものだ。
二つの根本的に異なる点は、消費者の求めるものの違いだ。
バブル後は、まだ宴の残り香があって、
人々もマスコミもそれまで流行っていたゴージャスなレストランなどと「屋台村」との落差を
非日常の体験としておもしろがっていた。
言わば、テーマパークに行く気分だったのだ。
それ故、客は屋台のスタッフとの会話など重視していなかった。
しかし、その後の一般消費者には実感なき成長が長く続いた後の、
リーマンショックに端を発する今の不況の中で、
人々は戦後のように人間的なふれあいを求めているのだ。
言い換えれば、消費者はバブル期には物質的なモノを求めていたのが、
崩壊後は体験というコトを求めるようになり、リーマンショック後、
そして、震災後は、ココロを求めるようになってきているのだ。
だから、浜倉氏はこの横丁を創るに当たって、
客とのふれあいを自ら求められる人であることを各々の店の店主に据える条件としたのだ。
まさに戦後のように、空間の演出だけではなく、泥臭くベタで濃密な人間関係の場に育てて行こうと考えた。
その結果、店同士がお互いのメニューを出前し合ったり、
年配の客がたまたま隣にすわった若いカップルに網に載せた貝のあぶり方を教えるような、
日本人がいつの間にかなくしてしまったような人情あふれる街ができつつあるのだ。
事実、リーマンショック、そして、それに続く東日本大震災と原発事故は、
日本経済を壊滅させる大量破壊兵器だったとも言える。
それが炸裂し、日本中に飛び火した。
その結果、企業の帳簿は赤字で真っ赤に炎上し、日本経済は焼け野原状態となった
事実、リーマンショックと震災と原発で失われた日本の国富は、
当時の通貨基準に合わせて計算しても、第二次大戦で失われた額をはるかに上回っている。
日本が、世界経済の中での戦いと自然の猛威との戦いの双方に敗れ果てた
「第二の敗戦」の戦後の今だからこそ、新たな「焼け跡風横丁」は、
そこを訪れる燃え尽きたビジネスマンをはじめ日本人の心に、
そして明かりの消えた商店街や雑居ビルに、明るい灯火を点してくれるのである。
第二次大戦後、日本が焼け跡の「横町」から立ち直ったように、
新たな「横町」から日本は元気に復興して行くに違いない。