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第78回
《二宮尊徳翁》に再び空前のスポットライト!
~ミュージカル「KINJIRO!」・記念館開館・銅像も復活~

次の売れ筋をつかむ術

 

 
二宮尊徳翁(二宮金次郎)と言えば、一昔前は、全国各地の小学校に、薪を背中に背負って歩きながら本を読む像があったが、戦前戦中の軍国主義教育のイメージと重ね合わせられたこともあり、戦後、徐々に姿を消して行った。
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しかし、近年、老若男女に向けた二宮尊徳翁(二宮金次郎)に関する書籍の出版が相次ぎ、その生涯をテーマにしたミュージカルが封切られ人気を博したり、新たに記念館が開館するなど、スポットライトが当たっている。
 
像を取り払った学校も再び設置したり、新調したりするなど、金次郎の像も復活し出している。
 
 
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ところが、子どもたちの登下校の交通安全のためや歩きスマホが問題化する中で、その像が歩きながらではなく丸太に座って本を読む座像になったため、賛否両論が巻き起こった。
 
また、2014年から、文部科学省が学校の教育現場で使用する道徳教材として配布している『わたしたちの道徳』の小学校低学年版にも金次郎が登場している。
 
 
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「幼くして両親と死別した金次郎は、おじの家に引き取られた。読書好きの金次郎は夜遅くまで読書をしていたところ、菜種油を無駄遣いするなとおじに怒られた。そこで金次郎は自分で畑を耕して菜種を収穫して読書を続けて立派な人になった」といった記述だ。
 
しかし、それが戦前の「教育勅語」の「修身」と同様で、軍国主義教育の復活につながるとか、児童労働・児童虐待を肯定的に扱っているといった批判の声が上がっている。
 
ただ、多くの人たちは、二宮尊徳翁(二宮金次郎)の生き様と偉業に改めて感銘を受け、その言葉を、日々を生きる心のかてとしているのに違いない。
 
とにもかくにも、江戸時代末期の農政家・二宮尊徳翁が、平成時代末期の今、誰かの損得などではなく、大きな注目を集めているのだ。
 
 
 
●知ってるようで知らない二宮尊徳翁のプロフィール
 
二宮尊徳翁とは、どのような人物だったのか?
 
以下、二宮尊徳翁のプロフィールを、神奈川県小田原市の報徳二宮神社のホームページから引用させていただく。
 
 
生い立ち
 
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二宮尊徳翁(公文書では金次郎、自筆は金治郎)は天明7年(1787)、相模国栢山村(今の小田原市栢山)の豊かな農家に生まれました。
 
再三にわたる酒匂川の氾濫で田畑を流され、家は没落し、過労により両親は亡くなり、兄弟はばらばらに親戚の家に預けられました。
 
金次郎は 、朝暗いうちから夜遅くまで汗と泥にまみれて一生懸命働き、その間余裕ができればわずかな時間も無駄にせず勉強をして、先人の教えを理解しようとしました。
 
荒地を開墾して収穫を上げお金を貯め、質に入れていた田畑を少しずつ買い戻し、一生懸命努力して24歳までに一家を再興しました。
 
 
積小為大
 
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毎晩勉強していた金次郎は、読書をするための油代を稼ぐために荒地に菜種を植え、たった一握りの菜種から7〜8升の取り入れになった経験や、捨て苗を荒地で丹精こめて育てて、秋には一俵の籾を収穫したことにより、自然の恵みと人の力の素晴らしさを知ると共に、小さな努力の積み重ねが大切(積小為大)だと学び、これが後の行いや考え方の基になりました。
 
 
偉大なる功績
 
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大人になった尊徳翁は、生涯を世の中のためにささげ、小田原藩家老服部家の財政再建をはじめ、藩主大久保忠真候の依頼により分家宇津家の桜町領を復興させるなど、自分の体験をもとにして大名旗本等の財政再建と領民救済、北関東から東北にかける各藩の農村総合的復興事業(仕法)を行い素晴らしい成果をあげました。
 
大飢饉で農村が疲弊しきっていた当時、尊徳翁が仕法を手がけた村々は600ヶ村以上に上ります。
 
多くの農村や藩を貧困から救い、独自の思想と実践主義で人々の幸福を追求し、数理、土木建築技術から文学まであらゆる才能を発揮した世界に誇れる偉人です。
 
内村鑑三著『代表的日本人』の中でも、19世紀末、欧米諸国に対して「日本人の中にも、これほど素晴らしい人物がいる」と苦難の時代を救った偉人として尊徳翁は紹介されています。
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最初の信用組合
尊徳翁は藩の使用人や武士達の生活を助けるために、お金を貸し借りできる「五常講」をつくりました。信用組合の発祥はドイツといわれていますが、尊徳翁はそれより40年以上も早く信用組合と同じ組織である五常講を制度化し実施していました。
 
自然と環境
現在、注目されている自然との共生を尊徳翁は百数十年前にすでに実践し、常に自然と環境のバランスを考えていました。
 
実践
大自然と人間社会の動きそのものから心理をつかみとった翁の考え方・やり方は、時代を超えて数多くの企業や経営者の中に生き続け、現在も多くの思想が実践されています。
 
 
 
●劇団「わらび座」が演じる抱腹絶倒のミュージカル「KINJIRO!」
 
「劇団四季」「宝塚歌劇団」に次ぐ観客動員数を誇るミュージカル劇団「わらび座」(山川龍巳社長、秋田県仙北市)が、2017年5月から、二宮尊徳翁(二宮金次郎)の生涯をテーマにしたミュージカル「KINJIRO!」を、金次郎の生誕の地である神奈川県小田原市を皮切りに、全国ツアーをスタートし、大好評を博している。
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「わらび座」は、地域に根差して活動した歴史上の人物を題材にしたオリジナル作品を主に上演している、地方創生の担い手として各地から引っ張りだこの劇団だ。
 
その「わらび座」が、今、なぜ、「KINJIRO!」を演じるのか?
 
作・作詞・演出を手掛けている鈴木聡氏は、以下のように述べている。
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銅像のことしか知らなくても思いっきり楽しめる金次郎の物語!
 
二宮金次郎と聞いて思い浮かべるイメージはなんでしょう?「薪を背負って本を読む銅像!」そうですね。「苦労した人!」そうですね。「真面目な人!」そうですね。あとは?
 
「???」。そうなんです。おそらく多くの皆さんにとって二宮金次郎について知ってることは例の銅像のみ。いつごろ活躍した人か、だいたい、どんな活躍をした人かも知らない。
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私もそうでした。物書きのくせにお恥ずかしい。どうもあの銅像のせいなのか、真面目で堅物な人と思い込んでしまって、お笑いや遊びが大好きな自分とは無縁な人と勝手に決めつけていたのです。
 
ところがこのたび、この作品を書くために金次郎さんのことを調べて驚いた。なんと面白い、魅力的な人でしょう。
 
二宮金次郎(1787年~1856年)は小田原の生まれ。金次郎(金治郎)は通称で大人になってから尊徳と名乗りました。
 
この人の業績をおおざっぱに一言で言うと、日本中の村おこし。大飢饉や天災が全国を襲った時代、なんと600もの村の再興に関わったのです。
 
机上のプランを立てただけではありません。多くの地域に足を運んで土地や村の有り様を調べ、人々と絆を結び、それぞれの村に合った方法を考え抜いて、再興のために汗を流したのです。
 
 
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イメージとは違って自然体で豪快な人物だったようです。俳句をたしなむ風流なところもあれば、落ち込んで行方不明になるような人間味もある。天地・宇宙を見据えた広大な思想。科学・合理の精神に基づく技術論。さらに人情を深く理解し皆が気持ちよく働ける環境を整え・・。
 
もうね、この人が現代に生きていたら世界中から引っ張りだこのスーパー経営コンサルタントになっていたと思います。技術、農業、経営、教育、政治・・さまざまな分野に才を発揮した江戸時代のミケランジェロみたいな・・。
 
そんな金次郎の人物と生き方を笑いと音楽たっぷりに描くのが「KINJIRO!~本当は面白い二宮金次郎~」です。
 
「将来、どんな人になろうかな。どんな仕事をしようかな」と考え中の学生さんも、「村おこしや町おこしのことが気になるな。仕事のアイデアがないかなあ」という大人の皆さんも、人生や仕事のヒントがいっぱい見つかると思います。
 
芝居が始まる前は銅像のことしか知らなくても、観終わったときには「金次郎、すげー!」となってること間違いなし。是非、是非、観に来てください。
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「わらび座」をはじめ、戦後、各地で生まれた多くの劇団には政治的には左翼的な人たちが多かった。
 
それにもかかわらず、二宮金次郎をテーマにしたのには、右も左もなく、地域から日本を元気にすることの必要性を痛感している「わらび座」だからこそ、今まさに、二宮尊徳翁の生き様に共感して、今回の「KINJIRO!」の公演につながったのだろう。
 
 
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18歳のときに「わらび座」の舞台に衝撃を受け、故郷の長崎県を飛び出して以来、地域発のミュージカルに人生をささげてきた山川龍巳社長は、「日本中に無限に眠る地域資源の鉱脈を掘り起こせば、必ず地域は元気になる!」と力説する。
 
山川社長をはじめ「わらび座」の人たちの生き方が、二宮尊徳翁の生涯と二重写しになって来る。
 
感動とは感じて動くと書く。「わらび座」の「KINJIRO!」は、自ら感じて動き、人々に感じさせて動かした二宮尊徳翁の感動の生涯を描いている。
 
「KINJIRO!」は誰が見ても抱腹絶倒。二宮尊徳翁をステレオタイプ的にとらえていた人こそが観るべき舞台だ。
 
 
 
●終焉の地・日光市今市に「二宮尊徳翁記念館」オープン
 
2017年4月、二宮尊徳翁の終焉の地である栃木県日光市今市に、「二宮尊徳翁記念館」が新たにオープンした。
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二宮尊徳翁は、安政3年10月20日(1856年11月17日)、幕末の日光神領にて、独自の農村改良策(報徳仕法)による復興途中、病に倒れ、当時の下野国都賀郡今市村で70年の生涯を閉じた。
 
尊徳翁の功績を顕彰するこの文教施設では、日光神領の農村復興に尽力した偉業の足跡などを史料や映像で紹介している。
 
どのような仕法をこの地に施したのかを示す「報徳仕法」に関する尊徳翁の自筆の文書や道具類、活動拠点であった今市報徳役所の模型の展示の他、キーパーソンとなる人物の相関関係が分かるタッチパネルが設置され、また、息子弥太郎の視点で業績を紹介する約十分間の映像も上映している。
 
日光市文化財課が管理・運営しており、無料で観覧できる。
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日光の地名は、820年に、空海・弘法大師が入山した折に名付けられたと言われている。
 
日光の山々は、梵語(サンスクリット語)で極楽浄土を意味する「ポータカラ」、当時の中国語で言う「補陀洛山(ふだらくさん)」と呼ばれていた。
 
それが転じて「二荒山(ふたらさん)」となり、弘法大師がこの「二荒」を音読みして「ニコウ」と呼び、その「ニコウ」に日の本・日本の光の「日光」の字を当てたと伝わる。
 
弘法大師が、巡国の際、水に恵まれない地域で、杖を地面に突き立てて湧出させたと言われる泉や井戸など、いわゆる「弘法水」の伝承を持つ場所は日本全国で千数百件に上る。
 
弘法大師の日光入山から1000年の時を経て日光神領に来晃した二宮尊徳翁は、空海と並び称される日本史上の偉人となり、神となった。
 
尊徳翁は、亡くなる前、以下のように述べたと伝わる。
 
「余の死近きにあるべし、余を葬るに分を越ゆることなかれ。墓石を立つることなかれ。碑を建つることなかれ。ただ土を盛り上げて、その傍らに松か杉を一本植え置けば、それにてよろし。必ず余の言にたがうことなかれ」
 
 
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日光市今市を訪れ、この地に尽くし、この地の土となった二宮尊徳翁に思いを馳せる時、日光=極楽浄土とは自らの心の有り様なのだと教えていただいた気がする。
 
 
 
●尊徳翁の故郷・小田原箱根は「良縁と開運の郷」
 
二宮尊徳翁を祀る二宮神社は、生地・神奈川県小田原市の報徳二宮神社、終焉の地・栃木県日光市今市(報徳二宮神社)、仕法の地として知られる栃木県真岡市の桜町二宮神社など全国各地にある。
 
 
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中でも、二宮金次郎が、天明7年7月23日(1787年9月4日)に誕生した小田原の生家、そして、小田原城内にある報徳二宮神社(草山明久宮司)は、まさに、二宮尊徳翁の生地であり聖地である。
 
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小田原の報徳二宮神社は、二宮尊徳翁の報徳精神に基づき、草山明久宮司と地域の人たちが手をたずさえて、今の世で何ができるかを模索している平成の報徳役所である。
 
二宮尊徳翁が、今の日本に生きていれば、現代の最大の課題は何だと考えるかと言えば、前号のブログコラムで取り上げた、
と、そこから起こっている少子高齢化に違いない。
 
 
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草山宮司は、「箱根・小田原ブライダル協議会」の会長として、箱根・小田原地区における約10の主要なホテル・式場・レストラン、そして行政機関や観光施設などが連携して、海・山・湖・森などの豊かな自然や、城下町・宿場町といった歴史ある文化を加味した、新しい価値観のリゾートウェディングのかたちを提案している。
 
 
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また、豊かな自然と歴史文化に恵まれたこの地域に、「結婚」を通じた新しい「生涯顧客」を創造し単なる観光や癒しの土地としての意味だけではなく「ふたりが将来を誓った思い出のエリア」として、結婚後も夫婦で、そして家族で再訪いただける特別な場所として、この地域の観光産業に貢献する事を目的に、様々な活動を行っている。
 
 
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経済的な理由などで結婚式が挙げられなかったカップルを公募して小田原城で特別に行うウエディング、東日本大震災の被災地のカップルを箱根ターンパイクに招いて行う「結婚の絆プロジェクト」、海外からのインバウンド観光客のカップルに小田原市役所が法的に認める「リーガルウエディング」を挙行するなど、全国的に注目を集めている。
 
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小田原箱根は、昔も今も、末永く幸せな家庭を築きたいカップルのための最強パワースポットだ。
 
 
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二宮尊徳翁も生まれ故郷が、「悠久の大自然と歴史・文化に彩られた良縁と開運の郷」として、生涯独身者を減らし、少子高齢化に歯止めをかけることを望んでいるに違いない。
 
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●尊徳翁の教えによる実践活動「小田原柑橘倶楽部」
 
また、草山宮司と地域の方々は、農政家であった二宮尊徳翁をお手本に、地域の農業振興にも大きな力を尽くしている。
 
 
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報徳二宮神社では、御祭神の二宮尊徳翁の教えをもとにした実践活動として、地域の農業者・商工業者とタッグを組み、2010年より「小田原柑橘倶楽部」を結成。数々の商品を実際に製造・販売し、成功を収めている。
 
 
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例えば、ただ同然で引き取られる加工用柑橘類に着目して、適正価格で流通させることで地元農家の支援を目指し、小田原市西部の片浦地区の農家が栽培する太陽の光をたっぷり浴びて育ったレモンを使って作った「片浦レモンサイダー」だ。
 
 
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爽やかな口当たりとレトロな雰囲気のラベルが人気を呼び、2011年から販売が始まって以来、年間7万本が生産されるヒット商品に育っている。
 
 
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地元のレモンや梅を使った「生ようかん」、足柄茶や桜を素材にした菓子作りに励んでいる他、耕作放棄地の開墾にも力を入れている。
 
 
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これまでの取り組みが認められ、2017年2月に共同通信社などが主催した「地域再生大賞」で優秀賞を受賞した。
 
万物は一つの円の中で互いに働き合い一体となることで初めて成果が現れるという、二宮尊徳翁によって提唱された「一円融合」の報徳思想の賜物に違いない。
 
 
 
●心に効く二宮尊徳翁の言葉
 
 
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二宮尊徳翁の言葉は、心に効く万能薬だ。
 
ビジネスパーソン、経営者、為政者には、心の根っこ、心根として根付く。
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尊徳翁の精神と実践の通り、「経済」とは、本来、経世済民の略であり、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」ことである。
 
尊徳翁の有り難い言葉を、今こそじっくりと噛み締めて、人生の血肉としたい。
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