1970年代のおわり頃、私の家族はエディンバラに住んでいた。当時のイギリスはさながら敗戦国のようだった。
事実、経済敗戦国だったのである。市街の大きな通りに面したところでも、板を打ち付けて閉店になっているところが多く目につき、貸家、売家の看板が無暗に多かった。
居住街を歩くと、大きな家に住む人がなく、窓は破れているのも稀ではなかった。道路では紙くずが風に舞っている。ロンドンでも似たような風景が見られた。
木村治美さんが『黄昏のロンドン』を書いて評判になったが、たそがれているのはロンドンだけでなく、イギリス全体であった。
ヨーロッパ大陸の貧しい国とされていたスペインなどよりも、イギリス人の一人当たりの国民総生産高が低くなっていた。世界一の金持ち国で、しかも戦勝国であったイギリスが、である。
この背景には戦後のイギリスの政治情勢がある。対ドイツの戦争が終わったので・・・日本とはまだ交戦中・・・総選挙をやったところ、保守党のチャーチルは敗れて労働党に政権が渡る。
労働党は当然、社会主義政策を押し進める。不労所得に対する税率が90パーセントを超えるようにもなった。鉄道や産業の国営化も進む。その政策が行き詰ると保守党に政権が渡るが、滔々たる社会主義化の流れを変えることはできず、せいぜい一寸と更なる左傾化を押しとどめる、つまりストップをかけるぐらいである。
そして行き詰って内閣が変わり、また労働党政権の社会主義政策が進む。すなわちゴーになる。それが行き詰ると再び保守党政権に…という繰返しであった。いわゆるゴー・ストップの政治であった。
その間にもイギリスの経済はどんどん落ちてゆき、敗戦国で、しかも分割された西ドイツよりはるかに貧しくなった。
このゴー・ストップを何度か繰り返して、1970年にエドワード・ヒースが保守党内閣を作った。しかし彼の政策は炭鉱労働組合などのストライキを招き、寒い冬に石炭もないような丁合になったため、1974年の選挙には国民に見放され、再び労働党内閣が成立した。
このときの選挙の敗北は保守党の心ある人たちに深刻な危機感を与えた。というのは、たとえ次の総選挙で勝って保守党政権を作っても、労働党系の労働組合に反対されれば、何もできないのだ、ということが明瞭になったからである。
何か抜本的なことをやらなければならない。それでキース・ヨゼフやイーノック・パウエルなどが「政策研究センター」を作り、保守党の政策を徹底的に検討することになった。そのメンバーの中に、マーガレット・サッチャーがいた。
この研究センターで、対社会主義理論のバイブルになった本がある。それはハイエクの『隷従への道』であった。「社会主義の根幹に立ち向かわない限り保守党の未来はない」ということになった。
ヒースの次の党首を誰にするか。キース・ヨゼフが最も適任であるが、彼はシナゴクに通うユダヤ人である。ユダヤ人でも保守党の党首となり首相にもなったデズレリーのような例もあるけれども、デズレリーは父の代にイギリス国教会に名目上入信していた。シナゴクに通うユダヤ人ではイギリス首相の候補者としてはまずい。
ではパウエルはどうか。彼はあまりにも歯に衣を着せぬ発言が多く、問題ばかり起こしている。というようなことで当時50歳のサッチャー女史が党首に選ばれたのである。
サッチャーはローワー・ミドル(中流下層階級つまり自営業者などの多い階級)の出身で、奨学金でオックスフォードに進み化学を専攻した。彼女の女学校にはラテン語の教科がなかったため、オックスフォードの奨学金の資格を満たすために、1年間で必要なラテン語をマスターしたと言われる。
後に富裕なサッチャー氏と結婚した。メイドのいる生活だったので、子育てのかたわら法律の勉強をして、弁護士(税制専門)の資格をとる。政治運動には大学時代からかかわっていて、すすめられて保守党から立候補し、何度か落選しながらもロンドンを選挙区とする議員になった。そして影の内閣の教育相や蔵相をやっていたのである。
私はエディンバラにいる間、彼女のテレビ演説を残らず聞くようにつとめた。彼女の英語は、日本人の耳にもっとも理解しやすい種類のものである彼女は真正面から労働党の政策、つまり社会主義政策、及び社会主義そのものを攻撃した。有名な言葉に
「金持ちを貧乏にしても貧乏人は金持ちにはならない」
があるが、これは多くのイギリス人の胸にグサリときた。また「労働党の言うようなことをやっていたら、われわれはまだ石器時代にいたであろう」とか、
「保守党は間違いを犯したかもしれないが、労働党のように国民に階級闘争をさせて、イギリス人同士を争わせるようなことはしたことがない」とか、みんなに解り易い言葉で国民に訴えた。
労働党との公開討論会では、労働党を指して「あなた方の旗は赤旗で、私たちの旗はユニオン・ジャック(英国国旗)だ」と言って沈黙せしめたこともあった。
かくして労働党の中からサッチャーと討論しようという人がいなくなってしまった。そして、さらにフォークランド島の紛争では、断乎アルゼンチンと戦って勝った。
かくして保守長期政権が実現し、その間にソ連も解体し、イギリスはよみがえったのである。今は労働党であるが、かつてとは全く異なり、経済政策の基本ではサッチャー時代とかわらず、民営化された鉄道などが再び国有化されそうな気配はない。
渡部昇一
〈第10
「サッチャー私の半生」上・下
マーガレットサッチャー著
日本経済新聞社刊
各本体2427円