今回は美女であります。これは男性にとって酒以上に注意を要するもの。
第2回「酒池肉林」で取り上げた暴君の桀(けつ)と紂(ちゅう)は、それぞれ末喜(ばっき)、妲己(だっき)という名の美女が横におり、暴君たちを操っていたことになっております。
こう書くと女性読者の方は気に入らないかもしれませんけれども、どうやら
・悪い美女が権力を握っているバカな男を操縦する
というのが国家を滅ぼすひとつのパターンになっているようなのです。
私は長崎で生まれたので、いわゆる九州男児の端くれということになります。九州といえば男尊女卑のメッカのように思っている方がいらっしゃいますが、おそらく九州の男は女の手のひらの上で転がされているという気持ちの方が強いと思われます。表面上は男に従っているように見せながら陰で糸をひいているのが九州の女、ということです。「よっ!九州男児」なんて言われながら、実は踊らされているだけ。
ですから、桀(けつ)と紂(ちゅう)は暴君と言われますけれども、この九州男児に近い気がして、何やら悲哀を感じるのです。
「十八史略」にこんな話があります。
周の時代、名君であった宣(せん)王が崩じ、その子である幽(ゆう)王が即位しました。この幽王が女に惑わされ、周の国勢を衰えさせることになる人物です。
さて、この不思議な話は夏(か)王朝の昔にまでさかのぼらねばなりません。
夏の世に二匹の竜が王の庭に現れて言うには、
「私たちは褒(ほう)(国名)の君主である」
と。夏王はこれを占わせ、占いに従って竜の吐いた泡を箱にしまいました。その後、夏、殷(いん)を経て周の時代になっても、開いてみる者は誰もいませんでした。そして、厲(れい)王(宣王の前の王)のときに初めてあけたところ、泡が一匹のとかげになったのです。宮中の少女がこのとかげにぶつかって妊娠し、女の子を生みましたが、不吉に感じてこの子を捨てました。
宣王のとき、こんな童謡が流行ります。
「山桑(やまぐわ)の木で作った弓、荻(おぎ)で作ったえびら(矢を入れる道具)が、まことに周の国を滅ぼすだろう」
たまたま、この2つを売り歩く者がいました。宣王がこの男を捕らえさせようとしましたが、男は逃走。途中で捨てられた女の赤子を見つけ、夜に泣いているのを哀れに思って拾い上げ、褒の国に逃げたのです。
幽王の時代になって、褒の君が王に咎(とが)めを受けることがあり、その償いで、美しい娘に成長していた先の女を王に献上しました。これを褒姒(ほうじ)と名づけて、王は溺愛したのです。ところが褒姒は笑うことを好みません。王は、なんとか褒姒を笑わせようとさまざまな手を使ってみたけれども、にこりともしないのです。
かねてより、王は諸侯と、
「もしも外敵が攻めてきたら王が烽火(のろし)を挙げるので、諸侯は兵を集めてすぐに来援する」
という取り決めを交わしていました。
あるとき、その合図の烽火が理由もなく挙がってしまいます。諸侯は約束どおり、ことごとくやってきましたが、敵の姿はありません。これを見て褒姒はケラケラと笑いました。王はますます褒姒を愛するようになり、正妻である皇后と跡継ぎである太子を廃して褒姒を皇后となし、その子伯服(はくふく)を太子にしたのです。前の太子は母の生国である申(しん)に逃げました。
幽王はこれを殺そうとしましたが捕まえることができなかったので、申を攻撃します。申の君主は異民族の犬戎(けんじゅう)を招いて幽王を攻めました。そこで王は烽火を挙げて兵を集めようとしましたが、諸侯は懲りているので誰も来ませんでした。そしてとうとう、王は驪(り)山という山のふもとで犬戎に殺されてしまったのです。
諸侯は前の太子を立てて王としました。これを平(へい)王といいます。以来、犬戎にしばしば迫られるようになり、都を東都の洛陽(らくよう)に移しましたが、この頃から周王朝はしだいに衰えていきました。
王が国を忘れ、美女にのめり込んだことで、このような結果を招いたのです。褒姒がもともと、褒の国の君主の霊が化けたものとして描かれているのは、男にとって女が魔物であることを暗に示し、注意を促したかったのかもしれません。
美女は危険、だからといって「美女に惹かれるな」などというのは男にとって無理な相談です。同じように女性がイケメンに惹かれるのも阻止出来るものではありません。キムタク、フクヤマに女性の視線が集まるのは自然現象に近いのです。
これも酒の飲み過ぎに注意するのと同じで、適量で我慢するようにするしかありません。我慢できないと大変な失敗につながってしまいます。そんな失敗を犯す人を社長にしていてはいけないのです。
現代でもわざと美女を用意して客に接待させ、客として取り込もうと企んでいる人はたくさんいますので、そうした企みを見抜くには、
美女(美男)に舞い上がらず冷静さを保つことが肝要
です。ご注意を。