【意味】
そちは奴の美点を挙げるが、奴はそちの欠点ばかりを挙げる。
【解説】
本講も王旦(オウタン)と寇準(コウジュン)に関するものですが、両者の人物の器量性格を浮き彫りになる句です。
帝真宗には1つの疑問がありました。王旦は顔を合わせるたびに寇準を褒めるのですが、一方の寇準は王旦の批判ばかりでした。掲句は真宗がその訳を王旦に問いかけた言葉です。
問われた王旦は、次のように答えます。
「当然のことです。私は長い間宰相の地位にありミスも数多くあります。寇準が陛下に私の欠点を隠す所なく報告するのは、陛下に対して忠実で正直な証拠です。私が彼を信頼する理由はここにあります」と。王旦から自己擁護の言葉が発せられるかと思いきや、自分への悪口を是認しその相手を褒める訳ですから、真宗もびっくりです。流石は度量の人王旦です。
王旦のこの態度は、どこから生まれてくるのでしょうか。科挙試験は同期組ですが、王旦(957~1017)より寇準(961~1023)の方が4歳若く試験を突破していますから、才知という点では王旦より上になります。
両者の行動の差は以下の通りですが、才知豊かな者がしばしば人生を失敗し(二度の左遷)、一方の王旦が平穏無事な生涯を終えることができたのは、どこに差があるのでしょうか。
第62講(寇準)・・相手部署の失敗を容赦なく報告
(王旦)・・相手部署の失敗を穏便に処理
第63講(寇準)・・相手の欠点を容赦なく報告
(王旦)・・相手の長所を丁寧に報告
一言で言えば、「才知の人は、才知故に相手の失敗や欠点をよく観察できる人」です。才人寇準も王旦の欠点が解り、これに真面目さと剛直さが加わり、その都度帝に報告となります。世間は王旦のような好人物が少なく、これが周りに敵意を抱く人物を増やすことになります。
一方「大度量の人は、心が大きな故に俗人の思惑を超越できる人」です。王旦はこの種の人物ですから、次元の低い内部抗争を避け、相手の悪口にも関わらず逆に仁眼長所で相手を称賛できます。次第に周りからの評価も高くなります。
企業社会は損得を優先するある種の修羅場ですから、いつの間にか波長が短くなります。孔子の弟子の曽子に「吾、日に吾が身を三省す」とあります。時には「我、自然界を生きる一微粒子の謙虚さと一寸の虫にも五分の魂の形成者意識」を確認し、自然の懐に自分の懐を合わせる時を持ちたいものです。これを『自懐天懐養心法』(巌海)といいます。
【講演者の提言】
「宋名臣言行録」は、北宋時代の名臣97人の言行録です。必ずしも王旦や寇準のレベルの名臣ばかりではありませんが、中国を代表する実践的な「帝王学の名著」の一冊です。
企業幹部の成長は多くの関係者の幸せを誘引しますから、本書を一読していただく価値があります。己の振る舞いと1,000年前の名臣の振る舞いとを照らし合わせて、自らの人物器量を測ってもらうことが、本当の意味での「ロマンのある人間学の学び」となります。