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- 中小企業の新たな法律リスク
- 第27回 『グレーゾーン』
今年6月には、事業主にパワハラ予防・対応策を義務づける改正労働施策総合推進法が施行されます。中小企業には再来年の3月まで努力義務にとどめる猶予が与えられていますが、以前から、裁判所の判例では、安全・快適な職場環境を確保することは従業員に対する会社の義務とされています。パワハラによって従業員が生命や健康を損うことになれば、会社は損害賠償義務を負うのです。中小企業であっても、パワハラ防止対策に一刻の猶予もありません。
もっとも、職場で実際に起きているパワハラは、厚生労働省が示すパワハラの典型例にあてはまらず、加害者とされる従業員を処分するだけでは問題が解決しないケースがしばしば見られます。
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山本社長:賛多先生、今日は、これはパワハラなのか判断に迷っている2つのケースについて、先生のご意見を伺いに参りました。
賛多弁護士:どのような内容ですか?
山本社長:一件目は、20年くらい勤続している40代の男性社員Aさんについてです。かつては一人で仕事をすることが多い部署だったために目立ちませんでしたが、数年前に管理部の課長へ異動させてから、部下の指導方法に問題が見られるようになりました。
賛多弁護士:問題と思われるのは、どのような指導の仕方ですか?
山本社長:彼の求める水準に照らして部下の仕事に不十分なところがあると、しつこく追及するのです。彼が納得のできる受け答えを部下ができるまで、30分でも1時間でも延々と、理詰めの質問をたたみかけるのです。彼が部下に求めていること自体は正論であり、声を荒げたり、暴言を吐いたりするわけではないのですが、部下たちは、彼がいつこのような状態になるか分からないので、いつもびくびくし、相当に気を遣って彼と話をしている状況です。
賛多弁護士:それはお困りですね。つい先日に厚生労働省が決定した指針(後注参照)では、必要以上に長時間の厳しい叱責を繰り返すことはパワハラに該当する例として挙げられています。部下の立場からすれば、まさにそのようなパワハラの被害にあっていると感じているでしょう。社長から彼に注意をされましたか。
山本社長:ええ。たとえ業務指導であっても、相手の理解度に応じた指導をすべきであり、手短に話を終わらせるようにと注意をしました。ところが、彼は、自分も時間を無駄にはしたくないのに、部下がいい加減な仕事をしてそれを誤魔化そうとするから、このように指導をせざるを得ないと。さらに、社員にいい加減な仕事をされるのが社長の望みですか?と逆に言われました。
賛多弁護士:彼にとっては、部下に不十分な点を理解させるために必要な話をしているつもりなのでしょうから、その認識のギャップを埋めるのは簡単ではないでしょう。しかし、彼も、そのようなこだわりを切り替える努力をしないと、そのうち部下にパワハラを告発され、自分が窮地に追い込まれかねません。彼が部下をしつこく指導している現場をとらえ、どんなに重要な仕事へのこだわりであっても、それを理解する段階にはない相手に求めても効果がなく、かえって苦しい思いをさせたり、反発を招いたりすることを具体的に説明してあげてください。
山本社長:「人を見て法を説け」であることが、どうして彼は分からないのでしょうか。
賛多弁護士:Aさんのような方は、「相手の気持ちになって考えてみなさい」と言われても直観的に意味が分からないことがあります。同じ事実でも人によって認知の仕方は違うことを教え、相手の視点を自分の心の中で想像して、相手の視点から自分自身の言動を見る作業を繰り返すことによって改善することがあります。外部に向けたプレゼンテーションの準備などは、良い機会になるでしょう。
山本社長:もう一件は、管理職として中途採用した50代の男性社員Bさんについてです。当初は企画的な業務を担当してもらっていましたが、私が指示した案件を放置していることが何度か繰り返されたため、管理職の待遇は維持したまま、他の管理職の下で、より実務運営的な業務に従事させて、適性を見極めることにしました。ところが、他の社員がすぐに覚えて、定時勤務で十分に処理していた業務を引き継いだにもかかわらず、数か月経っても業務のやり方を覚えず、毎日のようにミスや遅れを発生させています。彼の上司は、年下ですが、その都度、丁寧に業務を教えています。しかし彼は、マニュアルが不完全だと文句を言ったり、すぐに関係のない話にすりかえてしまうので指導もままならず、業務を中途半端にしたまま帰ってしまうために、その尻ぬぐいをすることなどが続きました。そしてとうとうその上司は、彼の声を聞くだけで手が震え、動悸がするなどの体調不良をきたし、彼と一緒に仕事をするのはもう勘弁して欲しいと言ってきました。
賛多弁護士:それはまた大変ですね。上司が年下であるために彼は横柄に振る舞っている面があるかもしれませんが、彼がパワハラをしているとみなすのは難しそうです。もっとも、彼の仕事のやり方にはかなり問題があるようですが、彼は自分ではどう思っているようですか。
山本社長:私から彼に対し、上司の指導に素直に従って責任をもって仕事に取り組むように注意をしたのですが、彼は、自分の業務量が多過ぎるからだと言って譲りません。しかし、彼の仕事のやり方をよく観察すると、掛かって来た電話に業務を中断されると、無駄話のような会話にのめり込み、電話を切ると元の業務には戻らず、他のことを始めてしまう、といったことを繰り返し、結局、どの仕事も中途半端なままになっているようなのです。
賛多弁護士:彼には、衝動を制御して、一つのことに落ち着いて取り組むことは難しいようですね。電話などほかの仕事が入ってこず、やるべきことに集中しやすい落ち着いた場所で仕事をさせ、業務を短納期のタスクに細かく分けて進捗を確認するような指導をしては如何でしょうか。
山本社長:なるほど。実は、先日、「大人の発達障害」というネット記事を読んでいて、まさに彼らが当てはまると思ったのですが、いかがでしょうか。
賛多弁護士:確かに、発達障害というもののグループの中でも、どちらかと言えば、Aさんには自閉症スペクトラム(ASD)が、Bさんには注意欠陥・多動性障害(ADHD)が、それぞれ疑われるかもしれませんね。
山本社長:やはりそうですか。精神科など病院へ行くように勧めた方が良いのでしょうか。
賛多弁護士:自分からその可能性に思い至ったり、病院で診断を勧められたりしたのでない限り、他人が、ましてや会社から、その可能性を指摘したり、病院の受診を勧めたりすることは、慎重にしてください。本人は頑なに拒否したり、辞めさせられるのではないかと反発したり、かえって事態を悪化させるおそれがあります。
山本社長:治療はしなくても、大丈夫なのでしょうか。
賛多弁護士:今のところ、発達障害それ自体は薬で治るものではありません。そもそも、発達障害は、脳の多様性の一つと考えられており、その特性を無くしてしまうべきものではありません。本人の自覚・努力と、周囲の理解・配慮によって、発達障害の特性が足をひっぱりにくくなり、得意なことで能力が発揮できるようになります。
山本社長:そうすると、先ほどアドバイスいただいたように、その人ごとの個性を把握するように努め、それぞれに合った指導をするべきということになりますか。
賛多弁護士:はい、そのとおりです。その人の長所になり得るところや頑張りやすいことを意識させ、トライ&エラーで挑戦するよう勇気づけてください。
山本社長:AさんもBさんも、そのように前向きな気持ちになってくれるといいのですが、問題が起きると、どうしても防御的になって、他人や会社が悪い、条件や環境が悪い、という考えを持つ傾向があるようです。
賛多弁護士:これまでの失敗や排除された経験の記憶から、ネガティブな思考に陥りやすくなっているかもしれません。頭ごなしに叱ると、その思考のループから抜けられず、今度は、社長からパワハラを受けたと感じるおそれがあります。それを防ぐためには、安心・安全を感じられる環境を確保することが何よりも重要で、その上で、具体的な言葉で、丁寧に筋道立てて諭すと良いでしょう。
山本社長:ありがとうございます。そのようにやってみます。
賛多弁護士:「自閉症スペクトラム」という障害名が象徴しているように、人は誰でも、多かれ少なかれは発達障害の特性を持っています。精神障害として診断される基準を満たすほどの方は全人口の3~5%程度ですが、それほどでなくても生活や仕事に何らかの支障を感じることがあり得る、いわゆる「グレーゾーン」は、全人口の1~3割程度になるかもしれません。
山本社長:自分の個性をよく知って、それをプラスに転じることが大切ですね。
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このように、ハラスメント相談に持ち込まれる事案の中には、当事者のいずれかに、はた目には身勝手で、ひいき目にも不器用な、他人の理解を得られにくい言動があるために、上司、部下や同僚と軋轢を生じたり、職場で孤立したりしていると見られるケースが少なくありません。"発達障害"、すなわち、自閉症スペクトラム(ASD)や注意欠陥・多動性障害(ADHD)などについて理解することは、経営者には勿論、人事労務担当者や管理職にとって必須の素養になりつつあります。ただし、その知識は「持って持たず」とわきまえることが、パワハラの連鎖を断ち切るために重要だと思います。
≪注≫
「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和2年厚生労働省告示第5号)
【参考図書】
● 佐藤恵美「もし部下が発達障害だったら」(ディスカバー・トゥエンティワン 2018年3月)
● 青木省三「ぼくらの中の発達障害」(筑摩書房 2012年11月)
執筆:鳥飼総合法律事務所 弁護士 小島健一