「諫争(かんそう)の臣」と中国史ではいう。命を賭しても王の非をいさめる家臣のことである。
軍事であれ経営であれ、何ごとも意のままにできるワンマンは、とかく現実を無視した夢想を抱くようになる。だからこそ、諫争の臣がまわりに必要だ。
ナポレオンがそうだった。
オーストリア、プロイセンを打ち破り、ナポレオン軍は、ロシアと国境を接するポーランドの地まで押し寄せていた。
「全欧州に同一の法典と統一通貨とひとつの度量衡を導入して、諸国民を同一国民にする」。ナポレオンは欧州合衆国構想を公言するようになる。
その夢想が現在の欧州共同体に結実した先見性に驚くが、時代はまだ成熟していない。
敵対する英国への上陸も強大な海軍力の前に断念し、経済封鎖も、かえって英国製品に頼る大陸諸国の物価を高騰させ、各国に加えフランス国内でも反発を招いていた。
対英貿易再開に踏み切ったロシアを討つといっても、相手は欧州からアジアにまたがる大帝国である。だれの眼にも無謀と映った。気づかぬはナポレオンひとり。
そのナポレオンにも諫争の臣がいた。彼の特命大使としてペテルブルグに派遣されロシア皇帝・アレクサンドル一世との外交を4年担当して帰国したコレンクールだ。
1811年6月、コレンクールは職をかけてナポレオンに、戦争を避けて対ロシア和平を決断するように説いた。
「ロシア皇帝は、わが軍がロシアの占有するポーランドを独立させることを怖れています。彼らから戦端を開くことはありません。彼らは和平を望んでいます」
「わが軍に引けということか。何でもロシアの言うなりになれと」と怒るナポレオンは、諫言するコレンクールの耳を引っ張り、「お前はロシアの味方か」となじる。「アレクサンドルは余を怖れておるのだ」
コレンクールはロシア皇帝の言葉を伝えた。
「『ロシアは広い。ナポレオンをフランスから引き離し補給路を断つ。戦争は一日では済まぬぞ』と」
「なあに勝ち戦一つでアレクサンドルの決意などひっくり返してみせる」
まもなく、ナポレオンは軍務大臣に「ロシア大遠征」の決意を伝えた。
諫争を無視した孤独な英雄は、ロシア皇帝の予言通り、広大なロシア領土に引きずり込まれていく。(この項、次回に続く)