いいと思えばやってみろ
ソニーを世界企業に導いた盛田昭夫は、企業を前進させる動力として上下の信頼関係を重視した。こんな言葉を残している。
「トップが下を信頼しなきゃ、下が上を信頼するはずがない」「信頼しなさい、と言ったって、こちらが相手を信頼しなきゃ、だれも信頼してくれない」
会社という組織は、荒波に乗り出した船と同じ。一蓮托生の運命共同体に彼はたとえる。「船長が船員とクルーを信頼し、船員は船長を信頼する。これに尽きる」
であればこそ、盛田は部下を対等な存在として扱い、仕事を任せる。任せたからには細かく口をはさまなかった。やりたいようにやらせた。。
あるとき秘書が盛田に「こう思うのですが、やってもいいですか」と尋ねた。「それはやったほうがいいのか」と盛田。社員が,はいと答えると「いいと思うならやればいい」。詳しい内容を聞くまでもなく即決したという。
「ああ、信頼されているなと感じた」と秘書は回想している。
部下を動かす殺し文句
即断だが無責任ではない。経営環境、人事構成に普段から目配りができてこその早業だろう。下した判断にはトップ自ら責任を取る覚悟が伴う。「おれの判断はよかったのに、失敗はお前のせいだろ」とトップが結果責任を部下に押し付けたのでは、だれも動かない。
話は変わって官僚の世界。2001年4月に発足した小泉純一郎政権は、北朝鮮による日本人拉致問題の解決に向けて秘密裏に動き出した。
とはいえ、相手は謎に包まれた独裁国家だ。1990年代に拉致問題が表面化して以来、「そうした事実はない」の一点張りの北朝鮮。誰と交渉すれば北朝鮮トップの金正日(当時総書記)を動かせるのか手探りの状態だった。そして外務省のある局長が、総書記に繋がるキーマンにたどり着き、首相の小泉に報告する。
小泉は直ちに指示した。「とにかく拉致被害者を一日も早く取り戻すべく動け。そのルートでの交渉を君に任せる。責任は私がとる」
局長は筆者に話したことがある。「微妙な外交課題で、だれも責任はとりたくないものです。『責任はおれがとるから、思い切ってやれ』という言葉こそ、政治家が官僚を動かす殺し文句ですよ」
部下を信頼してこその決断
局長は秘密交渉を通じて北朝鮮に、まず総書記自らが拉致事件を公表し、拉致被害者を返還するように強く求めた。その後に首相が訪朝し首脳会談で関係改善を図るというシナリオだ。
北朝鮮にしても、日本と関係を改善し経済協力を得たい。互いに相手の妥協点をさぐりながら、ぎりぎりの交渉が続いた。
「首相訪朝前に拉致を認めさせるのは難しいかもしれません。まず訪朝して総書記に拉致事件を認めさせる方策もあるかと」。訪朝しても何の成果もなければ大きなリスクを伴う。
黙考して小泉は決断した。「私が訪朝する意思を伝えても構わない。君を信頼している」。
その後の経過はご存知の通りだ。総書記は首脳会談で拉致を認めて謝罪し、日本が突きつけた拉致被害者13人のリストのうち、小泉訪朝で5人とその家族が帰国を果たした。しかし、その後の交渉は暗礁に乗り上げたまま、15年が経過している。
トップが部下を信頼して動かし、事態の進展に向けて決断する日は来るのだろうか。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『盛田昭夫語録』盛田昭夫研究会編 小学館文庫