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愛読者通信

私の人生を決定づけた出会い
井上和弘氏(アイ・シー・オーコンサルティング 会長)

「愛読者通信」著者インタビュー

〝両腕のない経営者〟高江常男氏に学んだ「困難を乗り越え、最高の人生を築く」生き方

 「儲かる会社づくり」の指導歴45年以上。オーナー企業の経営に熟知した実力コンサルタント井上和弘先生には、自らの力の根源となる人物が、心の中でずっと輝き続けている。
 その人物の名は高江常男 (たかえつねお)さん。両腕のない重度の障がい者ながら、同じ立場の障がい者が社会で働き、生きる喜びを得る場をつくるためクリーニング会社を立ち上げ、のちに100億円規模の一大グループに育て上げた立志の経営者である。
 この知られざる名経営者の生き方から何を学び、どのようにご自身の人生に生かしてこられたのか、井上先生に語っていただいた。

井上和弘(いのうえ かずひろ)
アイ・シー・オーコンサルティング 会長
「儲かる会社づくり」の指導歴45年以上。オーナー企業の経営に熟知した日本屈指のコンサルタント。これまで300余社を直接指導、オーナー社長のクセを知りつくし、次々と零細企業を中堅企業へと導き、一部上場はじめ株式公開させた企業も10数社にのぼる。経営指導に東奔西走する傍ら、弊会主催「後継社長塾」の塾長を30年以上務め、今まで500人以上の後継者育成に携わる。

 

─ 井上先生と高江常男氏の出会いを教えてください。

「君、両腕が無いと出来ないことは、何だと思う?」
 北海道光生舎(こうせいしゃ)創業者、高江常男さんが、射るような強い眼差しで私にそう問いかけられたのは、今から40年以上前、私が駆け出しのコンサルタントだった時のことです。
 当時、所属していた経営指導会社が高江さんに講演をお願いし、下っ端の私はお世話係として控室に案内したり、お茶を出したりと、高江さんとひと言、ふた言交わす機会がありました。
 自分に両腕がなかったら…今まで想像したこともなかったことで、とっさに「メシを食うのに困ります」と拙い返答をした私に、「犬猫は両手を使わなくてもメシが食えるじゃないか」と高江さんはニヤリと笑いました。
 実際、高江さんは食事も皿に口を当てて、隣で介添えする奥様の倍の早さで食べていたそうです。
 字も口に筆をくわえてお書きになる。事業を興す前、自立のために地方新聞の記者の職を得ましたが、アルバイトの助手を自分で雇って自転車を運転してもらい、自分は荷台に乗って事件現場へ向かう。
 そして取材したことを、口にペンをくわえて自ら記事を書いていたというから驚きます。
 ちなみに高江さんの答えは、「一番困るのは大便と小便。でも、大便は1日1回、小便は水分を控えて2回で済ます。それでも出たくなったら我慢して、汗にして出すように長年努力したら、そういう体質になったよ」とあっけらかんと笑っていました。
 そうして私をまっすぐ見据えて、こんな言葉をかけてくれたのです。
 「結局、できない、ダメだと自ら決めつけた時はすでに負けが決定している。ダメかもしれないという事態に立たされ、ギリギリのところに追い詰められてなお、歯を食いしばり、執念を燃やして事にあたる。これが仕事のできる人間とできない人間の分かれ道だ。最後までやり抜く、そしてやり通す。そうすれば道は必ず開ける」。
 もし、同じことを他の人から言われたら、「そういう自分はどうなんだ」と反発したかもしれない。でも、高江さんに言われて、そう言い返す人は誰もいないと思いました。

筆をくわえて文字を書く高江氏と直筆の文字

 

─ 高江常男さんとは、どういう人生を歩まれた方なのですか?

 高江さんは幼少期に誤って右目を失明、電気工として働いていた19歳に、感電事故で両腕を失いました。
 通常であれば即死の事故で、運よく一命は取り留めたものの肺の上部も焼け、医者から「もってあと10年の命」と宣告されたそうです。
 つらい療養のあと自立の道を模索するなか、炭鉱事故でケガをして職にあぶれた障がい者がたくさんいる事を知り、「それなら自分たちで働く場をつくろう」と、障がい者と健常者合わせて数名を率いてクリーニング工場を設立します。
 そして、創業3年目に社会福祉法人の認可を取り、死に物狂いの努力で売上を急速に伸ばしましたが、売上が伸びるにしたがって同業他社のやっかみも強くなり、「税金で援助されていてズルい」と業界団体から圧力をかけられ、営業部門を株式会社として分離させることを余儀なくされました。
 圧力をかけたライバルとしては、生産と営業を分ければ、販管費のコストアップできっと経営に行き詰まると思ったのですが、会社の勢いは衰えることなく、とうとう道内有数の規模に成長しました。
 そういう経緯で、光生舎は障がい者がクリーニング作業に携わる社会福祉法人格の授産施設と、業務委託という形で営業を担う株式会社を擁する一大グループになったのです。
 授産施設のほうは、もともと工場で働く障がい者のための寮としてスタートしましたが、今では高齢者や生活困窮者など多様な社会的弱者の支援も行うようになり、それを支える職員、パート・アルバイト、そして営業部門の会社にいる社員とパートを合わせて1000名超の一大グループとなっています。
 残念ながら高江さんは2001年に脳梗塞に倒れ、約7年間の闘病の末お亡くなりになりましたが、現在はご子息が志を継いで後継者となり、組織を率いておられます。
 通常の会社であっても、10年経てば7割以上が倒産するなか、60年経って残っているのはほんの数%、まして障がい者だけが集まって会社をつくって、ここまで伸びるというのは、ほとんど奇跡に等しいのではないかと思います。

不屈の名経営者 高江常男氏 

 

─ 井上先生は高江さんのご講演から何を感じ、その後の生き方にどう生かされたのですか? 

  まず一番大きな衝撃は、先述したように「この人の人生に比べたら、自分は甘ったれ。泣き言やグチは言えない」という思いです。
 当時私は、大げさではなく365日仕事に追われ、「忙しくてどうにもならない」と時にグチをこぼしたくなる日々を送っていました。
 高度成長期の日本は、レジャーや飲食産業が盛んになるに従い、マーケティングを指導できるコンサルタントの需要が急増しました。
 しかし、工場の生産管理や財務経理を教える人はたくさんいても、マーケティングには疎い人ばかり。
 それで、マーケティングのコンサルタントだった私はいろいろな会社から引っ張りだこで、睡眠時間もほとんどありませんでした。
 しかし、高江さんが重度の障がい者となっても自立して生きるために奮闘したというエピソードを講演で聴き、そのすさまじい努力に圧倒されてしまったのです。
 いわく、余命10年と医者に宣告された以上、それまでに何事かを成し、プロとして生きねばならないという決意で、1日3時間睡眠で小説家を目指し、執筆に励んだそうです。
 眠くなると、冬は雪水に顔をさらして目を覚まし、それでもダメなら釘を打った板を机の横に張り付けて、それをヒザに当てながら創作を続けるというように、がむしゃらに自分の限界に挑戦された。
 私はこれを聴いて「自分の苦労なんて大したことない」と恥ずかしくなり、以後、私を必要としてくれる会社をどうにか儲かる会社にしたい一心で、社長と一緒になって新事業、新商品開発に取り組みました。
 その甲斐あってか、指導会社は軒並み成長軌道に乗っていき、そうすると今度は財務やキャッシュフローまでも指導するようになる。
 こちらも会社を潰さずに安定的に成長してほしいので必死で勉強して、実務で経験を積んでいく…そうやって、指導会社の成長と共に、私自身もコンサルタントとして成長を余儀なくされたのです。
 さらに、指導先の社長が50歳を過ぎる頃になると、後継者を誰にするか、どう育てればいいかとご相談を多く受けるようになり、後継者も指導するようになりました。
 結果として、オーナー社長の悩みにすべて応えられる稀有なコンサルタントになりましたが、その原動力は高江さんの生き方への感動です。

 


イノベーションを生む「理」と「情」のバランス経営

 他にも、若輩の私が高江さんのお話から感じ入ったことは、ロマンのある生き方への憧れです。
 高江さんが光生舎を立ち上げたのは、障がい者が経済的に自立し、社会参画するための場をつくるという、当時としては画期的な「企業授産」という考えです。
 そしてこのロマンに賛同し、ともに闘ってくれる仲間が増え、会社が大きくなるにしたがって、障がい者と健常者が共存共栄する街づくりの構想まで持っていました。
 その構想は、北海道に10万坪の土地を取得し、工場と施設のほかに学校や病院もある「福祉の街」という壮大なものです。
 その夢実現のために、高江さんは一つ一つ施設を増やし、営業拠点を広げて売上を上げていきます。
 そして高江さんの没後も志は多くの人に支えられロマンが実現されていく…こんな素晴らしい人生はないと思いました。
 一方で、高江さんにはソロバンをはじくという冷徹な「理」もあります。光生舎は社会福祉法人でありながら、一般企業と同様、ビジネスの視点で経営されています。
 たとえば、光生舎は創業来のクリーニングを手がける授産施設のほかに、行政から指定管理という形で特別養護老人ホームや救護施設等の経営にも進出しています。
 失礼ながら、行政の施設運営には「経営」の概念が乏しく、赤字で運営し続ける施設がたくさんあるそうです。例えば、光生舎が経営を受け負った知的障がい者施設は、市が運営していたときは年2~3千万円の赤字で、建物も老朽化し、寒くて狭い部屋に数名が寄り添うように生活する状態でした。
 そこで、光生舎がその施設を市から譲り受け、補助金は一銭も貰わずに新しい施設に建て替えました。結果として、快適な施設に生まれ変わり、利用者も家族も喜び、赤字だった施設も黒字に変わったそうです。
 世間には、福祉の分野は利潤追求とは相容れないという意見は根強くありますが、今後の高齢化社会では、全国で行政の運営する施設が民間委託されていくでしょう。
 したがって、福祉の心と企業経営のノウハウの両方をもった光生舎のような社会福祉法人の必要性が、ますます増していくと私は思います。
 とにかく、経営者には情と理の両立が必要ですが、たいていどちらかに偏ってしまいがちです。
 ビジネスといっても結局は人が相手なので、理だけでは動かせないけれど、情だけではメシが食えない。そういう意味で高江さんは、情で語り、理で裏打ちできる経営者といえます。
 すなわち、「障がい者と健常者が助け合って豊かに生きる世の中にする」、そんな世界を創るんだという壮大な夢を掲げる一方で、現在目の前にないものを必要だと信じて、それができた世界がどうなるかを想像し、形にするすさまじい能力もある。
 「知られざる名経営者」と、私が高江さんを評するゆえんです。

 

鍛えると備わってくる

─ 井上先生が30年にわたり塾頭を務められる「後継社長塾」に、高江さんのご子息で現理事長の智江理(ちおり)さんをゲスト講師として毎年お招きしています。若き後継者たちに、何を学んでもらう狙いなのでしょうか?

 後継社長塾の目的は、先代から事業をうまく継ぎ、維持し、それを土台に発展させていくための経営思想から手腕までを12コースに分けて、1年かけて集中的に身につけてもらう勉強会です。
この塾でこれまで400人近くの後継者を教えてきてつくづく思うのは、経営能力は本人の学歴いかんによらず、「鍛えると備わってくる」ということです。
 学校時代はあまり勉強もせずに世間からバカ息子、やんちゃ扱いされてきたような人物が何名も立派な経営者に育ってきたのを、私はこの目で見ています。
 だから、後継者にまず求めるのは、「学んで仕事漬け」になることです。朝から寝るまで毎日毎日、経営とは何か、商売とは何かを考え、ひたすら学び続ける。
それがのちに会社の将来を決定する、勝負の分かれ目だという覚悟を後継者がもつために、高江常男さんの生き方を知ってもらうのが狙いの一つです。

「後継社長塾」で事業戦略についての意見を交わすグループ討論

 

後継者が継ぐべき本当の財産

 それと同時に、現理事長であるご子息には、一大グループをまとめて引っ張っていたカリスマの求心力をなくし、どうやって自分なりにかじ取りをしてきたか、その要諦も語っていただいています。
 高江さんが脳梗塞で倒れ、闘病の末にお亡くなりになったことは前述しましたが、ご子息からすれば、ある日突然、会社にとっても自分にとっても支柱だった人物を失い、明日から自分が父の代わりを務めなくてはならないという事態でした。
 これがガンだったら、少なくとも半年くらいの準備の時間がありますが、高江さんの場合はいきなり倒れて7日ほど危篤状態が続き、山場を越えてからも意識は混濁して、意思疎通が全くできなくなったそうです。
 だから智江理さんは、父の病状を悲しむ間もなく理事長となり、その重責を背負うことになりました。
 重責のプレッシャーで眠れない夜が続きましたが、最後には、もし資金が足りなくなって万事休すとなったら、生命保険をかけて死ねばいいと腹をくくったら楽になり、やるべきことが自然と見えてきたそうです。

 

─ ご子息は1000名を超す一大グループのトップとして、どんなことから取り組んだのでしょう?

 智江理さんが最初に取り組んだことは、幹部との理念共有でした。
 高江さんは誰もが認めるカリスマ経営者でしたから、もう存在自体が理念の体現者です。
 社員も創業の苦しい時期をともに歩んだ人たちばかりだから、高江さんが健在のときは理念の教育など必要がなかった。社員の誰もが高江さんの後ろをわき目もふらずに付いて行けばそれでよかったのです。
 しかし、そのカリスマがいきなり脳梗塞で倒れてしまって、社員もどんどん若返って、高江さんと実際に話したことがある人もいなくなる。
 そんな中で会社を続けるためには、創業者がどういう思いで会社をつくったのか、仕事をする目的や社会的な意義など理念教育の仕組みやツールをつくって広く伝え共有し、ご自身も判断に迷ったときはいつも創業者の理念に立ち返り、父ならばどうやって経営しただろうと自問自答しながら、一つひとつ決断を下してきたそうです。
 「理念なくして経営なし」「本当に継ぐべき財産は創業者の理念」とは言いますが、お題目でもキレイごとでもなく智江理さんのお話からは理念経営の神髄が伝わってくるのです。
 いわく「会社は最初、父が転がした小さな雪玉のようなものでした。それを転がすたびに大きくなって、父ひとりでは支えられずに多くの人に助けてもらう。そして、みんなの力で支えているが、時が経てば誰かが去り、そして新しい人がまたそれを引き継ぐ。そのうち私も誰かに引き継ぐ時が来る。その時には潰されないように十分注意をして渡してあげたい。そうすることで、光生舎は絶えず発展していくと信じています」と後継塾で語ってくれます。
 だから塾生たちには、会社の長い繁栄を築く経営理念とはどういうものか、また理念を会社が進むべき方向性や戦略にどう落とし込むか、働く社員にいかに実践させるかなど、理念経営の強さと広がりを智江理さんのお話から学んでほしいのです。

光生舎の本舎と工場


 なお、私の生き方を決定づけた「高江常男さんの生き方」と、光生舎における理念経営の具体的なやり方を詳しく勉強されたい方は、『執念の経営』(日本経営合理化協会刊)を読まれることをお薦めします。
 この本は、高江さんが半生をつづった貴重な自叙伝と、献身的に支えた奥様、共に尽力した従業員、そして経営理念を継いだ子息の手記を通して、経営における「理念」の神髄と、社長業の本質を浮き彫りにした、異色の経営書です。
 深い感動と経営の神髄を学べる書として、ぜひお読みいただきたいと思います。

 

(聞き手/丹野悦子)

「愛読者通信」(2019年7月)掲載

 

 

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