「社員にやる氣を持って仕事をして欲しい」
そのヒントを探しに「氣の道場」に来られる経営者がいます。会社で実際にいる「やる氣のない」社員の顔を思い浮かべて受講されているようです。
「氣の道場」では、やる氣を「未来に氣が通ること」と定義しています。「氣が出ている」と言っても同じことです。「やる氣がある」とは未来に氣が通っている状態であり、「やる氣がない」とは氣が通っていない状態ということです。
ひとことで「やる氣がない」と言っても、大きく分けて二つあります。
一つは、元から「やる氣」がない場合。もう一つは、元は「やる氣」があったのに、何かのきっかけで失っている場合。やる氣が見られないという点では同じでも、その意味は完全に異なります。
前者の場合、残念ながら「氣の道場」でお応え出来ることは何もありません。その姿勢は本人の仕事観、もっと言えば人生観に基づいたものですから、研修やトレーニング等で変えることは至難の業です。あるいは、膨大な時間と労力をかければ可能かもしれませんが、会社は家庭ではないので現実的ではありません。採用が重要ということです。
後者の場合、やる氣を失った原因が何かしらあるはずです。それを改善することで、またやる氣が出てきます。その原因は様々ですが、その一つが「期待に応える」という考え方です。
経営者であれば、社員に期待することが沢山あるはずです。それを言葉にして伝えている方も多いでしょう。しかし、社員が「期待に応えよう」とすればするほど仕事は上手くいかなくなります。なぜなら、その「期待」は常に変化しているからです。ゴルフで言えば、目標としているカップが常に動いているようなものです。
期待をよせる人が多くなればなるほど、その「期待」は異形のものになります。十人いれば十人の期待があり、総ての期待に応えることなど不可能です。それにも関わらず、人は「期待に応えよう」としてしまうのです。
したがって、二代目・三代目の経営者は特に大変です。彼らの相談を受けると、必ずこの問題が出て来ます。「周囲の期待に応えたい」というと、私は「期待になど応える必要はありません」と答えます。例外なく相手は驚いた顔をします。
そして、「期待に応えるのではなく、自分の役割を全うしませんか。それには、まず自分の役割を正しく知ることが大切です」と伝えます。たとえ多くの人の期待にそぐわなかったとしても、自分の役割を全うすれば結果は出るのです。期待に応えようとすればするほど結果が出なくなります。
こう話をすると、彼らの表情は途端に晴れやかになります。「期待に応えよう」とする考えが不要なプレッシャーになっているのでしょう。
経営者は、社員に対して会社(あるいは部署)の全体像を示し、その上でその社員の役割を明確に伝えることです。そして役割を全うしたら正しく評価をすることが重要です。
しかし、多くの会社や組織は「役割」を明確に示さず、「期待」という曖昧なものしか示しません。したがって、正しい評価が出来ません。社員からしてみれば、マラソンでゴールを目指して一生懸命に走って来たのに、いつの間にかゴールの場所が変わっている。それでは努力は報われませんし、やる氣をなくして当然です。
社員一人一人が自分の役割を正しく知り全う出来る会社は、未来に氣が通っています。「氣が出ている会社」となるのです。
私自身のことを振り返れば、先代の藤平光一から道を継承するにあたって、多くの人から様々な期待をされました。藤平光一は私の果たすべき役割を明確に示し、私もそれを理解していましたので、自分の役割を全うすることに専念出来ました。
5年後、10年後の私は、周囲からの「期待」によって決まるのではなく、組織おける、あるいは世の中における「役割」によって決まります。
これを広く「人生」として捉えれば、昔から「天命を知る」と言われるように、天から与えられた役割を正しく知ることです。天命を知る人は、人生に氣が通っています。「氣が出ている人生」となるのです。
私自身の最大のテーマです。