【意味】
上に立つ指導者は、周りの者が心配する先に心配をし、周りの者が楽しんだ後に楽しむべきである。
【解説】
「宋名臣言行録」からの言葉です。
士大夫(シタイフ)の范仲淹(ハンチュウエン)の言葉で「先憂後楽」の語源になった言葉です。
古代中国の社会階級は5階級の天子・諸侯・大夫・士・庶民でしたが、第4と第3の階級を併せて士大夫と呼びます。天子・諸侯は国の主権者であるのに対して、大夫・士は臣下であると共に庶民の指導者で、科挙出の文人官僚やその他の知識階級で占められていました。
中国文化はしばしば「士大夫の文化」と云われますが、士大夫は自らの学識を以って出仕したという自負心から、天下国家を自分で背負うという気概が強いことから生まれた言葉です。そしてその心意気を一番よく表す言葉が、掲句の「士は天下の憂いに先立ちて憂え・・・」で、范仲淹は北宋時代の最高の名臣名文家で、士大夫の理想像として仰がれた人物です。
福澤諭吉が『民間雑誌』の中で「学問を修得し官吏として給料を貰う者は、国の奴雁となるべきだ」と説いています。続けて彼の言葉を借りますと「・・・群雁、野に在て餌を啄むとき、其内に必ず一羽は首を揚げて四方の様子を窺い、不意の難に番をする者あり、之を奴雁(ドガン)と云う」となりますので、教えは范仲淹の"指導者たる者は、来たるべき難局に備えた先憂後楽の気概を持て"という思想と相通じるものがあります。
ある会社の新築披露パーティーに招待されました。建物に入ってみるとどうもバランスが悪く違和感を覚えました。料理も一流ホテルのケータリングでしたが、主催者挨拶も心打つものもなく、来賓の挨拶も世辞迎合の類でした。社長の服装は極めて派手で指には豪華な指輪が目立ち、帰り際に何気なく見た車庫には、社長用の最高級外車が置かれていました。
その後しばらくしてこの車が売りに出され、建築代金も未払いのため建物が他人名義になったと聞きました。
この種の人はバブル以前の首長などの政治家にも多く見られ、現在の財政赤字の原因を作りました。もともと目立ちたがり屋で選挙戦にも強く、性格も積極的で派手好きですから当選すれば後先を考えずに公共投資に精を出しました。地元の建設業界もこの公共投資に群がりましたから、各地に分不相応な豪華施設が完成しました。
最初は施設運営の累積赤字額はそれほど大きくなりませんから、在職中に責任を追及されることもありません。それ故に全国で安易な施設行政が繰り返され、国や地方公共団体(都道府県や市町村等)の膨大な財政赤字が生じるに至りました。
民主選挙と云いましても「癒着業界団体」「タカリ選挙民」などの呼称もあり、理想の選挙を行うことは難しいことです。時間はかかりますが"国家や社会の形成者意識を持った国民"を育て、この中から"先憂後楽の慎重派政治家"を育成するしか方法がありません。
「先憂で事を練り、先勇で事を為すを"志の人物"という。
このような人物でなければ、国家や企業の大業を任せられぬ」(巌海)