■露天派? 内湯派?
知人から伊豆のオススメの温泉を尋ねられた。私は、日本最大級の内湯をもつお気に入りの温泉宿を勧めたが、その知人は、どうも納得していない様子。「いまいちですか?」と聞くと、こんな答えが返ってきた。
「せっかく伊豆に行くなら、海が見える露天風呂に入りたいんですよね」。
だが後日、知人からうれしいメールが届いた。「あのあと、教えてもらった旅館を調べてみたら、とてもよさそうだったので行ってきました。本当にいい温泉で感激しました!」。最初の私のプレゼンが悪かったのかもしれないが、結果的に、あの内湯のよさを理解してもらえて、素直にうれしかった。
知り合いにオススメした温泉宿は、伊豆半島南部・下田市に湯けむりを上げる河内(こうち)温泉にある。河内温泉は、市内の蓮台寺温泉、白浜温泉、観音温泉、相玉温泉などと一緒に「下田温泉」にくくられることもあるが、それぞれ独自の源泉をもっている。
河内温泉は、終点である伊豆急下田駅のひとつ手前、蓮台寺駅で下車する。
3分ほど3分ほど歩くと、河内温泉の一軒宿「金谷旅館」がある。温泉街などはなく、周囲は静寂に包まれている。
■名物「千人風呂」
緑に囲まれた2000坪の広大な敷地の中に、木造の立派な宿が建っている。創業は江戸末期。1929年(昭和4年)に建てられたという本館は、今も現役である。木のぬくもりあふれる館内は趣があり、昭和の時代にタイムスリップしたかのような気分になる。
金谷旅館の名物は、「千人風呂」。日本一の規模を誇る総檜大浴場である。つまり、檜を使った湯船の中で、日本でいちばん大きいということだ。
浴室に入ると、そこは体育館のような広々とした空間。浴舎全体が木造で、アーチ状になった天井の開放感がすばらしい。長さ15メートル、幅5メートルの湯船は、もちろん総檜づくり。まるでプールのような広さである。1000人はさすがに無理だが、100人は余裕で入れるだろう。
ユニークなのは、浴槽の半分は普通の深さだが、もう半分は1メートルほどの深さがあること。泳ごうと思えば泳げなくもない。歩行浴(湯船の中を歩く運動)を楽しむ入浴客もいるという。
やはり、木造の湯船は居心地がいい。石やタイルに比べて、木の温もりが肌にやさしいし、ほのかに漂う檜の香りにも癒される。
現在のような総檜の大浴場になったのは、2002年のこと。それ以前は、コンクリートやタイルでつくられていたという。何度かにわたる大改修によって、今のようなすばらしい浴場が完成した。檜は、清掃の手間や張り替えによるコストなど、温泉経営にとっては負担が大きい素材である。そのリスクを背負って、総檜の浴場を実現した主人の心意気に拍手を送りたい。
■日本最大級の女湯
「千人風呂」は混浴である。女性は、婦人脱衣室から出入りすることができる。私が入ったときは、女性の入浴客はいなかったが、とにかく広々としているので、暗くなる夜などは女性も入りやすいかもしれない。
「混浴は苦手」という女性は、女性専用大浴場「万葉の湯」に浸かることになる。実は、「万葉の湯」も日本一の浴場である。長さ11メートル、幅5メートルの同湯は、木造の女湯としては日本最大級だという。「千人風呂」よりひとまわり小さいが、泉温の異なる4つの浴槽が用意されており、雰囲気も「千人風呂」に負けていない。
さらに、男女別の露天風呂や貸切家族風呂もあり、文句のつけようのない充実ぶりである。
肝心の湯もすばらしい。泉質は、アルカリ性単純温泉。毎分300リットル湧出する透明湯は、刺激が少なく、まろやかである。泉温は55℃と高温だが、湯船が広いので、注ぎ口から離れるにつれて、ぬるくなっていく。自分の好みに合った場所を探すといいだろう。
先の知人のメールは、こんな言葉で結ばれていた。「温泉といえば露天風呂だと思っていたのですが、内風呂もいいものですね」。