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採用・法律

第95回 工夫することは生きること

中小企業の新たな法律リスク

 認知症は、一般的には高齢者に多い病気ですが、65歳未満で発症した場合、「若年性認知症」とされます。


 若年性認知症は働き盛りの世代で発症するため、ご本人だけでなく、ご家族の生活への影響が大きくなりやすい特徴があります。病気のために仕事に支障がでたり、仕事をやめることになって経済的に困難な状況になってしまいます。また、子どもが成人していない場合には親の病気が与える心理的影響が大きく、教育、就職、結婚などの人生設計が変わることになりかねません。さらにご本人や配偶者の親の介護が重なることもあり、介護の負担が大きくなります。


 このように若年性認知症は社会的にも大きな問題ですが、企業や医療・介護の現場でもまだ認識が不足している現状です(注1)。

* * *

有田社長:うちの社員の様子が最近おかしいので、ちょっと相談させてください。彼は、毎年のように上位の営業成績をあげている、とても頼りになる男です。まだ40代で、これからさらに責任ある仕事をやってもらおうと期待しています。

ところが、ここのところ、もの忘れが激しくなったようなのです。上得意先の社長の顔を忘れてしまって、先方から「彼は大丈夫か」と私へ直接電話が掛かってきました。彼と一緒に働いているスタッフにそれとなく様子を聞いてみると、確かに、予定を頻繁に間違えるようになったり、スタッフの名前を思い出せなくなったりして、おかしいと感じている、ということでした。

もし当社に産業医がいれば、こういうとき相談ができるのですが…。

 

賛多弁護士: そうですね。社長の会社は、小さい店舗やオフィスばかりなので、現行法上は、産業医を選任する義務はありませんが(注2)、最近は、法的義務のある・なしにかかわらず、産業医や保健師さん(産業看護職)と契約する会社が増えていますから、社長のところもお考えになると良いでしょうね。

ところで、そのトップ・セールスマンの彼には、最近、脳を痛めるような事故とか、うつ状態等のメンタル不調とかはなかったですか。

 

有田社長: いや~、特にそういったことは無かったはずですが。

 

賛多弁護士: そうですか。私にとって全くの専門業務外ですが、彼に、急にそのような認知機能の低下が起きている原因として、若年性認知症の可能性も頭の片隅に置かれた方がよいかもしれません。彼と直接に、最近の仕事の調子などから始めて、話をしてみたらいかがですか。彼も、自分の中に起きている異変に気づいているかもしれません。

 

有田社長: まだ40代なのに認知症になるなんてことがあるのですか。

 

賛多弁護士: はい、確かにあるそうです(注3)。専門のお医者様でないと見落とされることもあるかもしれませんので、簡単に割り切らず、幅広に可能性を探ってみた方がよいでしょう。

 

有田社長: 彼は言うことを聞いて病院へ行ってくれるかな。大病なんてしたことが無さそうに元気なやつだから、もしそうだとしても受け容れられないだろうな。

 

賛多弁護士: 若くして認知症と診断された方でも、その後もずっと働き続けたり、元気に活動したりしている方が、少なからずおられます。そういう当事者が発信しておられる本もありますよ(注4)。彼が、不安のために医師の受診を拒んだり、悲観して仕事を辞めてしまったりしないよう、社長ご自身が少しポジティブな情報を仕入れてからお話された方がよいかもしれませんね。

 

有田社長: わかりました。先生に勧めていただいた本も読んで、彼と話をしてみます。

 

——— 後日

有田社長: 先生、彼と話をしてよかったです。彼も、さすがにお客様や部下の顔が分からなくなったりして、ショックを受けて悩んでいたそうです。私から、自分の状態を正しく把握して早めに手を打つのが家族や会社への責任感なのではないか、と説得しました。

特に、仕事のことは心配するなと言い聞かしました。「どんな病気だと分かったところで、君が君であることは変わりがないのだから、これまでどおり仕事をお願いしたいし、もし無理があるようだったら、できる業務を探したり、やり方を工夫したりすることを一緒に考えていこう、だから、簡単に辞めたりしないように」と。

そうしましたら、ようやく病院へ行ってくれました。最終的に、若年性認知症と診断されたそうです。

 

賛多弁護士: そうでしたか。よく病院へ行ってくれましたね。社長が、仕事を続けて欲しいとお話いただいた賜物でしょう。その後の彼の状況は、いかがですか。

 

有田社長: まだまだ珍しい病気なので、当事者同士で語り合う会に参加するようにしたそうです。そうすると、困りごとを相談できるだけでなく、安全に生活したり、仕事を続けたりするための色々な工夫を教えてもらうそうです。今まで以上にITやクラウドを活用するようになりました。彼がやっている様々な仕事のやり方の工夫には他の社員の仕事を効率化するのに役立つものがあるので、そういう工夫はみんなで共有しているそうです。いつかは彼が仕事を辞めるときが来るのかもしれませんが、彼のおかげで職場に協力し合う空気が生まれたようです。

 

賛多弁護士: それこそが、病気や障害がある社員を雇い続けることの効用ですね。

 

【注】
(1) 「全国若年性認知症支援センター」(社会福祉法人仁至会認知症介護研究・研修大府センター)ウェブサイト(https://y-ninchisyotel.net/)から。

(2) 産業医とは、労働者が健康かつ安全に就労できるよう、専門的な見地から指導や助言を行う医師のことです。労働安全衛生法第13条で、従業員数50人以上の事業場では、事業場ごとの産業医の選任が義務付けられています(参照:厚生労働省「産業医について教えてください」https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/faq/6.html)。

(3) 若年性認知症の有病率・生活実態把握についての全国実態調査が、2017年から2020年にかけて行われ、わが国の若年性認知症有病率は18 歳~64 歳人口10万人当たり50.9人と推定されました。発症時に就労していた人は、全体で59.0%でしたが、調査時点で収入を伴う仕事に就いている人は10.4%であり、半数以上の人が定年前に自己退職しており、全体の6.0%は解雇されている実態が報告されています(牧徳彦「職域で産業医が若年性認知症にどう関わるか、何ができるか」(「産業医学ジャーナル」産業医学振興財団・2022年5月 Vol.45 No.3 https://www.zsisz.or.jp/shop/periodical/journal-back.html)。

(4) 例えば、丹野智文(たんの ともふみ)「認知症の私から見える社会」(講談社+α新書・2021年9月)をお勧めします。丹野氏は、自動車販売会社のトップ・セールスマンとして活躍中の2013年(当時39歳)、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。診断後は営業職から事務職に異動し勤務を続け、現在は、当事者を支え、認知症への社会的理解を広める活動が主な仕事になっています。丹野氏をモデルにした映画「オレンジ・ランプ」が制作中で、今年(2023年)公開予定だそうです(https://www.orange-lamp.com/)。

* * *

 認知症=何も分からない、何もできない、徘徊する…と思っていませんか。認知症になった社員が働き続けられるような配慮ができる職場は、余裕のある一部の大企業にしか存在しないだろう、などと感じていませんか。


 このような誤った認識は、周囲の人々だけではなく本人や家族にもあるために、診断を受けると落ち込み、周囲に迷惑を掛けてしまうと思い込んでしまい、仕事を辞めてしまうことによって、かえって病気の進行を早めてしまうことがあるのです。


 当事者の声に耳を傾けると、認知症に対して抱かれるこのようなイメージは、完全に誤りであることが分かります。


 物理的環境だけではなく、周囲の人や組織の認識や考え方も、障害者がその能力を発揮することを妨げる障壁(バリア)になります。「合理的配慮」は、本人の心の声に耳を傾け、できるようになる工夫を一緒に考え、本人が自己決定することを支援することから始まる、クリエイティブでダイナミック(双方向的)な営みなのです。

【参考】
論文「職域における若年性認知症への合理的配慮―『工夫することは生きること』―」
(小島健一・「産業医学ジャーナル」産業医学振興財団・2022年5月 Vol.45 No.3)
https://www.torikai.gr.jp/articles/detail/post-26864/

執筆:鳥飼総合法律事務所 弁護士 小島健一

 

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