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- 第29回 手紙と文字から時代を考える
先日、数名で「手書きの力」についてディスカッションしていた際に、「手書きの手紙はいずれ捨てなければならないけれど、デジタルならずっと保管できる」という話の流れになりました。
たしかに、そうですね。わたしも数年おきに届いた手紙を大量に処分しており、そのたびに胸が痛むのを感じます。
ただ、今あらためて考えてみると、胸が痛んだり、つらい気持ちになったりするのは悪いことでしょうか?
いいえ。それら感情の動きがあることを、わたしはむしろ素晴らしいことだと考えます。
捨てるときにあらためて相手を思い出したり、過去をなつかしんだり、交わした会話の内容を思い浮かべて切なくなったり、感謝したり…。届いた手紙を手にとって眺めることで、それこそありとあらゆる感情が湧いて出てきます。
デジタルなら捨てずに済むという考え方は、便利で手軽である反面、捨てないがゆえに思い出すことも少なく、ある意味、人間本来の感情の動きのようなものを封じているとも言えるのではないでしょうか。
人と同じようにモノにも命があるとしたら、捨てることにも意味があり、捨てることとしっかり向き合うことで今をより大切に生きていける……とは、片付けの女神「こんまり」さんがまさに言っていることですが、わたしも同じように思います。
さらに、同じディスカッションの場で、「最近の若い子たちは字がみな上手である」という話になりました。
わたしが中学・高校生だった頃は丸文字が流行っており、ほとんど読めないくらいパンチの効いたクセ字を書く友人も大勢いたのですが、文字を手書きする機会が昔に比べて圧倒的に少なくなった今のほうが、若い人たちの字が上手なのです。
不思議ですね。一体なぜでしょうか。
理由の一つに、見ている字がどれも同じような活字であることが挙げられます。
わたしが中学・高校生だった頃、まわりには様々な字を書く友人がいましたので、彼ら彼女たちの字を見て「ちょっと読みにくいけれど、なんとなく楽しい」「同じようには書けないけれど、ユニークで可愛らしい」などと字から性格を感じ取ったり、「わたしもあの人のような字が書きたい」と真似したり、手書き文字で自身の個性を表現して楽しむようなところがありました。
今はみなが同じように上手で、同じようによくまとまった字を書きます。
これがもし文字だけでなく、その人の性格や個性にまで影響を与えているとしたら…? わたしは少し怖いものを感じます。