・「地方銀行の崩壊」コロナが映す暗い未来予想図
・銀行破綻が「連鎖的な企業倒産」招く危険も (4/23 東洋経済)
・地銀生き残り競争熾烈に、上場廃止や破綻懸念もーコロナ追い打ち(4/23 Bloomberg)
・地銀の苦境、深めるコロナ 上場7割が減益見通し(5/18 日経新聞)
コロナ禍による金融機関への影響を分析する記事は総じて悲観的なトーンである。
確かに収益基盤が弱って来た最中に訪れた未曾有の経済危機に直面しており、貸倒引当金の増加は金融機関の決算を直撃する。今後、融資先企業の倒産が増えてくれば、赤字に転落するところも続出するだろう。
こんな状況に追い込まれてしまい、金融機関の現場はさぞや悲壮感に包まれて雰囲気も暗くなっているのではないかと懸念されるが、案外と活気づいている。
「苦境に陥っているお客さんの為に、少しでも力になりたい。」
「多くの会社から相談があり、非常に忙しい。正直、感染は怖いが、すごくやりがいを感じる。」
「国家の危機において、自分たち金融機関の役割の大きさを実感した。」
「お願い営業でなく、お役に立つ顧客対応。これこそが銀行員の醍醐味だと感じる。」
現場の第一線で奮闘する銀行員達の声である。
実際に、資金繰り支援の融資相談だけでなく、顧客商品の販路拡大に知恵を絞ったり、金融機関のネットワークを活用して売上に貢献したりする例も見られる。
バブル崩壊やリーマンショックなど、過去にも経済危機、金融危機は起こっているが、当時には無かった前向きな活力を現場から感じるのである。
この違いは、一体どこから来ているのだろうか?
敵はコロナウイルス
先ず第一には、危機の震源地の違いがある。
バブル崩壊もリーマンショックも、危機の震源地が金融機関自身であった。
バブル崩壊は、不動産投資や株式投資に対して、銀行やノンバンクなどの金融機関がこぞって融資を拡大した末に、バブルが弾けて不良債権が大量に発生。その後始末のために金融危機に追い込まれた訳で、震源地であり、戦犯でもあった。
リーマンショックは、米国リーマンブラザーズの経営破綻を発端とした世界連鎖的な信用収縮による金融危機である。日本の金融機関が直接の震源地ではないものの、信用収縮の波を止める事が出来ず、いわゆる「貸し渋り、貸し剥がし」まで横行したのだ。
これに対して、今回の震源地はコロナウイルスという感染症である。
経営の3要素「ヒト・モノ・カネ」のうち、過去の危機は、先ず「カネ」を自ら止めてしまい「ヒト・モノ」の足を引っ張ったのに対して、今回は、コロナウイルスが「ヒト・モノ」を止めて起こった危機を「カネ」が支援する構図である。
時代劇の配役で言えば、悪代官から助さん格さんに転じた感じかもしれない。
敵はコロナウイルスとして正々堂々と戦えるのだ。
頼りにされる喜び
第二は、純粋に顧客から頼りにされる事に喜びを感じている点である。
逆に言えば、近年は企業の銀行離れが進み、あまり頼りにされていなかった反動とも言える。
企業の銀行離れが進んだ理由としては、大きく分けて3つある。
一つ目は、銀行の自己利益第一主義が顧客の反感を買ったこと。
顧客第一主義と言いながら、手数料の高い投資信託や外貨保険商品、デリバティブ商品の販売など銀行に都合の良い営業を続けてきた報いである。
二つ目は、金融緩和政策が続き、存在価値が低下したこと。
資金需要よりも資金供給が上回り、融資の引き合いには金利の引き下げ競争が当たり前。また、資金調達手段も多様化しており、特定の銀行に頼らなくても良い環境が続いていた。
三つ目は、企業経営者の事業創造・拡大意欲が低下していること。
銀行にわざわざ相談して、借金までして事業拡大しよう、或いは、新規事業に挑戦してみようといった経営者が減ってしまっている事も影響しているだろう。
銀行離れの原因は、自業自得と言える面もあるが、頼りにされる存在となる事の有難さを、コロナウイルスは教えてくれている。
原点回帰
第三は、金融機関本来の使命へ、原点回帰している事である。
金融は、よく経済の血液に例えられるが、本来、金融機関の仕事は裏方の側面が強く、縁の下の力持ちというべき存在である。
ところが、バブル時代以降の約30年間、裏方として支えるというよりも、自らが主役となって利益を追求するような方向に軸がズレてしまい、結果として金融危機を招き、顧客離れも引き起こしてきた事は、既に述べた通りである。
この失敗にようやく気づいたと言うか、このままでは金融機関自身も顧客も、或いは地域経済も共倒れになってしまうと追い込まれて、原点回帰を図っている最中なのである。
誇りを取戻せ
金融機関のこのような変化を実感された方、「いやいや、何も変わってないよ。」と感じている方、様々だろう。
もちろん、金融機関によっても差はあるし、そこで働く金融マン個々人によっても差は大きい。
しかし、全体の流れに変化があるのは間違いない。持続可能な開発目標(SDGs)の思考が世界の主流となる中で、金融機関も目先の利益を追いかけるのでは無く、持続可能な社会づくりに貢献出来ないと生き残れないのだ。
今回のコロナ禍は、金融機関それぞれの進むべき方向をより明確にして、そして現場の金融マンにその価値を実感させているのではないだろうか。
変なエリート意識によるプライドの高さではなく、社会に役立つ実践者として抱くことの出来る、金融マンとしての誇りを是非、取り戻す切っ掛けにしてほしい。
コロナ禍の影響で、既に取引金融機関と相談されている経営者は多いと思うが、ただ単に緊急融資の申込みだけに終わらず、売上の確保やコストの削減方法など持続可能な経営の在り方などについて、一度是非、相談を持ち掛けてみたらいかがだろう。
誇りを感じて、力になろうとする金融マンは、きっと経営の力になるだろう。