毎年、なぜこういった論調のアジテイター(世の中の人々を不安にさせること)を平気で紙面をつかって煽るのでしょうか?
はっきりと申し上げています。
日本ではもう「預金封鎖」はおこりません!実行できません!
雑誌週刊現代(3月5日号)はこう言っています。
「1946年2月16日 戦後日本で預金封鎖が断行されました。
本年2月16日、マイナス金利が実行されました。マイナス金利が幕を開けたのは偶然ではない」
預金封鎖とマイナス金利の実施が、たまたま同日だとしても、なんで「預金封鎖」に備えなければいけないのか?何の論理性もありません。
日銀の金利が18%~20%の高い金利になったインフレではありません。デフレを止め、企業を活性化させたいからなのです。
週刊現代でO氏が
「マイナス金利政策を含む現在の異常な金融政策の失敗が、日本にとっての『第2の敗戦』を招くことです。
日本では第二次世界大戦の敗戦後、預金封鎖と資産課税という国民の資産を暴力的に収穫する政策が断行されました。
現在の金融政策は市場の金利形成を歪め、財政規律を弛緩させています。ですが、このまま政府債務の膨張が続くなか、インフレ率が顕在化して長期金利が上昇すれば、財政は危機的な状況に陥る可能性がある。その延長で、今再びの預金封鎖が蘇ってきている。
後世、この異常な金融政策の歴史は預金封鎖への前段だったとして刻まれかねない」
確かに1946年(昭和21年)2月16日に「新円切替」といって、従来の紙幣は使えなくなりました。新しい紙幣でないと使えなくなり国にはお金(金もないので旧紙幣にシールをのり付けしたもの)1家族、父には500円しか引き出せなくなったのです。(子供は300円?)
もうこの頃を体験した人や知っている人は皆、あの世に行っておられます。
預金封鎖だけではありません!
日本国民(第三国の人は別)の財閥や富裕国民が持っていた財産(10万円を超えるもの)は、すべて課税対象となり、なんと90%という超効率の税率を課したのです。
農地改革もそうです。庄屋的大地主は小作人に農地解放を行い、確か皇室の財産もそうです。取り上げられたのです。
ですからアメリカ人(駐留軍高級武官)が、物納する美術品の多くを海外に持ち出したのです。(ボストンの美術品の中味にもあります)
昭和21年2月です。敗戦は前年の20年8月です。昭和21年、日本は独立国家ではなく敗戦国であり、国連軍による占領(occupied JAPAN)国家であったのです。時の司令部はマッカサー元帥が日比谷の第一生命ビルにおり、これらの断行は、彼の指令で行われたのです。
日本国は、まだ独立していなかったのですね。占領軍がいたのですね。
太平洋戦争で大膨大する戦費を使い、戦争に負け、賠償金をフィリッピンやタイ等の東南アジアに支払わなければならなかったのか?
預金封鎖は占領軍の命令で行われたのです。
今の日本は独立国です。
いかに政府の債務(国債)が多くなったとしても、財政再建のため特別課税や預金封鎖を決めて実行するにせよ、国会に法案を上程しなくてはならないのは常識としてわかるでしょう。
チンタラ チンタラ国会で審議・討議をしている間に、国民は自分の預金口座から引出すことは明白でしょう。
今の財務省の役人もこんなことは体験していないし、実行された時の渋沢敬三蔵相も内務省次官高村 坂彦氏(自民党 副総裁高村正彦氏の父)も今や鬼籍の人、歴史に学ぶのも当然ですが、今の独立国日本では不可能です。
「預金封鎖は出来ないのです。」「したくとも出来ないのです」
考えても方法がないのです。方法がないものを、できそうに煽りたてて、何のメリットがあるのでしょうか?