※本コラムは2021年2月の繁栄への着眼点を掲載したものです。
私は普段会社でデスクワークをする際、WEDGWOODのマグカップを愛用している。入協当時からだ。途中、社員に割られること数回、他のブランドに浮気をしたりもしたが、一周回ってまた同じデザインのもので収まっている。別にブランド物でなくても良いのだが、文章など書く機会が多いので、「ふと休憩する際には、良い物で温かいお茶であったり、コーヒーであったり飲みたい」と考えてのことだ。そういう人は多いのではないか。
もう十年近く前になるが、海外視察に向かう成田エクスプレスに乗車していた時のことだ。
女性社員から携帯にメールが届いた。開いてみると「太陽さんの大事なマグカップを割ってしまいました。申し訳ありません」という文章と共に、無残に割れた愛用のマグカップの写真が添付されていた。「割ってしまったのは事故なのでしょうがないけど、これから海外に行く人間に縁起でもない写真送ってこなくていいよ」などと、半分冗談、半分本気で返信したことがあった。帰国した私の席には、「申し訳ありませんでした」と書かれたポストイットが貼られた某コーヒーチェーンのマグカップが置かれていた。そのマグカップは有難く受け取ったが、新しく買いなおして以来、自分のマグカップは自分で手洗いするようになった。十年経つが、それを見てきた男性社員たちは、自分たちも手洗いするようになった。思わぬ副作用だ。
日用品は、こういったように分かりやすく値段によって役割が変わってくる。財布もそうだ。
私は普段社長と食事をする機会が多い。お互いの財布をよく見たりする。フランスやイタリアの高級財布を使っている社長も多いが、中には拘って日本製の財布を使っている社長もいる。私もかつてはフランス製の財布を使っていたが、4年前に日本製に替えた。
それは、娘が小学校に入学する際に、「家族で同じ物を身につけよう」と娘のランドセルと同じブランドの物を購入したからだ。モノを選ぶにも哲学がある。
かつては、社長の財布というと、お札が入るように長財布が定番であった。それも、このキャッシュレス化によって変わりつつあるようだ。極力、お札を入れない。カードも最小限。なので二つ折りの財布が見直されつつある。特に若い人にその傾向がある。
中国地方にあるアパレルメーカーのお客様が、登山用の財布として約2千円の財布を作って見せてくれた。「太陽さん、登山というのは極力重いものを持っていきたくないから、だからこの薄い財布がいいんです。そして、ぺなぺなですぐダメになるからいいんです」
「何故?」と訊く私に社長はこう言った。「カラフルですよね。何色もあるんです。だからダメになったら、別の欲しい色を直ぐ買えるんです」よく考えていると感心した。
いま一度言うが、商品やサービスというのは価格帯によって役割が変わってくる。
100円ショップで買ったボールペンが直ぐに壊れても文句を言う人はいない。しかし、「ブランド」と呼ばれるものは、値段以上の価値がそこになくてはいけない。
値段が安いモノを売るのも、値段が高いモノを売るのも社長の考え方一つだ。値決めは経営そのものである。
※本コラムは2021年2月の繁栄への着眼点を掲載したものです。