信念あってこその放任指導
シーズン終了を前に、巨人・高橋由伸、阪神・金本知憲両監督の辞任が決まった。名選手をずらり集めても結果が出ないと、「監督がだめだから」とファンの批判を一身に浴びる。結果がすべて。監督稼業は厳しい。
そんなプロ野球界で放任主義を貫いて、横浜ベイスターズを就任一年目で38年ぶりの日本一に導いた男がいる。
権藤博。放任主義といっても何もしないわけではない。何もしないように見せて、きちんと勝利を計算していた。「やるのは選手、選手のやりやすいようにやらせるのが監督の仕事」との信念に基づいていた。
貫いた三無主義
中日での新人シーズン。権藤は69試合に登板し35勝の驚異的な記録を残す。連日の登板は、「権藤、権藤、雨、権藤」というフレーズを生んだ。肩の酷使で投手生命は四年と短く、その経験から投手コーチになってからは投手に過度の投げ込みを禁じた。
横浜監督になって「夜間練習なし、ミーティングなし、サインなし」の三無主義を貫く。
監督がサインを出さないから、選手たちは、自分たちでサインを決め、自主的にヒットエンドランなどをやる。
三無主義に加えて、権藤はバント策を使わない。石井から始まり、波留、2年連続首位打者の鈴木、最強の助っ人ローズ、巨人から移籍の駒田と繋がる強力打線は伸び伸びと爆発し、マシンガン打線の異名をとった。
管理野球全盛の時代、異色の采配で監督初年度の1998年、セリーグを制し、日本シリーズで西武をくだして頂点に立った。
現場の感性を信じる
サインなしといっても、投手出身だけにバッテリーには捕手の谷繁を通じて細かくサインを出した。
あるピンチで、権藤は谷繁に外角スライダーのサインを出す。谷繁は無視して内角高めのストレートを要求し見事打者を打ち取った。
「それは正解だ」と、権藤は谷繁を褒めた。
「サイン通りでないということは、よほど確信があるはずだ。現場の感性を信じるのは監督として当たり前じゃないか」
選手の判断を信じて、責任は自分が取る。選手に状況を判断する自主性を求め続けたからこそ口に出せる言葉だ。
前回触れたラグビーワールドカップ対南アフリカ戦で、ヘッドコーチとして指示した同点狙いのペナルティーゴールを無視してスクラムで逆転トライを狙いに出て成功した選手たちの判断を褒めるエディー・ジョーンズの指導と合い通じるものがある。
ある新聞で二人は対談している。「予想できないことに対処するのも選手ですからね。私は選手に細かいことは言わない」。そう話す権藤にエディーは同感しながら言った。
「それには選手に正しい(判断ができる)習慣を持たせる環境をつくらないといけませんね」
“指示待ち人間”の優等生だけでは組織は動かない。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『教えない教え』権藤博著 集英社新書
『プロ野球、心をつかむ!監督術』永谷脩著 朝日新書