■渓谷に沿って点在する8つの温泉
長野県の北東部にある高山村。村の面積の約85%が森林や原野で占められ、森林地域の多くが上信越高原国立公園に指定されている。「日本で最も美しい村」連合に加盟しているように、自然豊かで長閑な環境が魅力の小さな村である。
「高山村」という名は全国的にはあまり知られていないが、温泉ファンの間では「本物の温泉が湧いているエリア」として有名である。
高山村にある信州高山温泉郷は、個性あふれる温泉が目白押し。松川のV字の渓谷に沿って8つの温泉が点在し、それぞれが個性を放っている。
最も下流に位置する公共の日帰り温泉「YOU游ランド」に始まり、タオルが色で染まるほどの赤褐色の濁り湯が強烈な存在感を放つ「子安温泉」、田園の中に建つ素朴な村営共同浴場「蕨温泉」、開湯200年を超える名湯「山田温泉」。
そして、渓谷の天然岩を利用してつくられた大露天風呂が名物の「松川渓谷温泉」、エメラルドグリーンや灰色など5色に変化する不思議な湯をもつ「五色温泉」、わずかに乳白色をおびた黄緑色の濁り湯が美しい「七味温泉」、温泉郷のなかで最も高地に位置し、乳白色の湯が美しい「奥山田温泉」など――全国的な知名度はまだまだだが、「温泉銀座」と呼びたくなるくらい、実力派の温泉に恵まれている。
■文人墨客に愛された温泉地
そんな温泉郷の中で最も温泉街としての規模が大きいのが、「山田温泉」である。ゆるやかな坂道に沿って数軒の旅館と土産物屋が建ち並んでおり、温泉街はなかなか情緒がある。紅葉の名所でもあり、小林一茶、種田山頭火、森鴎外、与謝野晶子、若山牧水など多くの文人に愛されたというのもうなずける。
温泉の発見は、豊臣秀吉の重臣で勇猛果敢な武闘派として名を馳せた福島正則が関わっていると伝わる。関ヶ原の戦いでの活躍を認められ、広島城城主に収まったが、幕府の許可なく城を改修したとして信濃と越後に国替えを命じられた福島正則が、この地で温泉を発見したという。その後、1798年に現在の場所に引湯され、温泉街が形成されていった。
そんな温泉街のシンボルが村営の共同浴場「大湯」。入母屋と唐破風をもつ桃山風建築の大きな湯小屋は、威風堂々としていて、まるで寺社の建物のようだ。
ほんのりと薄暗い総檜造の浴室は、木のぬくもりにあふれている。天井を見上げれば、その高さに惚れ惚れするほどで、建物のダイナミックさを物語っている。天井はつながっているので、男湯も女湯も会話が筒抜けだ。
■頭からかぶりたくなる湯
木造の湯船は2人でいっぱいになる「ぬる湯」と、15人くらいは浸かれそうな「あつ湯」に分かれている。「あつ湯」は、44℃くらいはありそうで、「熱い! 熱い!」といって大騒ぎする観光客もいたが、一度、肩まで浸かってしまえば極楽である。
無色透明の湯は、源泉かけ流し。見た目はシンプルだが、焦げたような硫化水素の香りや、まろやかな塩味、そして白い湯の花など、湯の存在感は十分。泉温が高いせいもあるが、5分も浸かっていたら、玉のような汗が噴き出してくる。
「大湯」の魅力は温泉だけではない。めずらしい構造の洗い場も温泉ファンを喜ばせてくれる。カランやシャワーは設置されておらず、樋の中に流された温泉を使って体を洗うのが大湯の流儀だ。湯を使いたいときは、かまぼこ板のような木片を手前に引くと、樋の中の温泉が流れ出るようになっている。このようなしくみの洗い場は、全国的にも貴重である。
筆者は、この樋から温泉を桶に注ぐ行為が楽しくて、50回以上は桶に注いだ湯を頭からかぶった。温泉を頭からかぶると、全身から温泉パワーを吸収している気分になる。温泉からエネルギーを十分にチャージし、晴れ晴れとした気持ちで山田温泉をあとにしたのだった。