■映画『フラガール』の舞台
いわき湯本温泉は奈良時代の開湯とされており、1300年以上の間、湯の街として栄えてきた歴史ある温泉地である。江戸時代は浜街道唯一の温泉の湧く宿場町として文人墨客の来遊が絶えなかったという。
現在は20軒弱の温泉宿が並び、温泉テーマパークの先がけでもある「スパリゾートハワイアンズ」も多くの観光客を集めている。映画『フラガール』(2006年)の舞台としても脚光を浴びた巨大温泉リゾート施設である。
昭和40年代、いわき市の主要産業であった炭鉱の大幅縮小により危機的状況に追い込まれた人々が、町おこし事業としてスパリゾートハワイアンズ(旧常磐ハワイアンセンター)を立ち上げるまでの実話を描いた映画である。炭鉱の従業員やその家族が苦悩しながら、ハワイアンセンターの従業員やフラダンスショーのダンサーとして活躍していく姿に心打たれた人も多いだろう。
■温泉街のシンボル「さはこの湯」
いわき湯本温泉の湯量は毎分5000リットルと豊富で、その泉質は含硫黄‐ナトリウム‐塩化物・硫酸塩泉。長くて小難しい印象を与える泉質名だが、簡単に言うと、成分がたっぷり含まれた良質な源泉である。実際、硫黄が香り、湯の花が舞う本格派だ。
湧出時は透明だが、時に緑色を帯びることもある不思議な湯だ。かつて石炭の採掘により泉脈が破壊され温泉の湧出が止まってしまったが、再び復活したという歴史もある。
漁港が近いロケーションということもあり、温泉街には海鮮料理が自慢の旅館やホテルが多いのが特徴だ。宿泊して海の幸や温泉をじっくり堪能するのがおすすめだが、観光客が気軽に日帰り利用できる共同浴場もあるので、まずは湯の良さを体感してみてもよいだろう。
温泉街のシンボルである公衆浴場「さはこの湯」は、江戸時代の湯屋と火の見やぐらを再現した建物が目を引く。地下1階、地上4階建ての立派な建物で、一見旅館のような風格が漂う。昔、この地を「佐波古」と呼んだことから名づけられた。
檜風呂と岩風呂の浴室は、男女交代制。日替わりで趣向の異なる雰囲気を楽しめる。もちろん源泉かけ流しで、硫黄の香りを放つ透明湯が、贅沢なくらいに湯船からあふれだしていく。なお、2階には温泉にまつわる資料展示コーナーもあるので、湯上がりにのぞいてみてもいいだろう。
一方、JR湯本駅前にある「みゆき湯」は、内湯のみの簡素な共同浴場だが、こちらも鮮度の高い湯がかけ流し。シンプル・イズ・ベストという言葉は、温泉にも当てはまる。泉質のよい温泉さえあれば、豪華な施設や設備は必要ない。駅から近いので、電車の待ち時間に入浴できるのも便利だ。
■地元の共同浴場で触れた心遣い
温泉街のはずれに位置する共同浴場「上の湯」は、上級者向けだ。建物の2階が集会所になっていることからもわかるように、地元の住民が普段使いの湯として利用している。
かつて訪ねたときは夕方で、地元の常連さんで大混雑していた。観光客が入ることはほとんどないようで、筆者が脱衣所に足を踏み入れると、「見知らぬ顔だな」という視線が突き刺さった。
4人ほどが浸かれる素朴な湯船と6つほどのカランのみのシンプルな浴室には、すでに10人くらいの入浴客で一杯だが、お互いに譲り合って使っているので見た目より混雑している感じはなく、秩序が保たれている。
それでも、筆者にとっては完全なアウェー。湯船に浸かるタイミングを計っていると、一人のおじいさんが「にーさん、今空いているから入りな」とすすめてくれた。また、他のおじいさんは「せっけん持ってないなら貸してやるぞ」と声をかけてくれた。地元の人の心遣いが身にしみたのを今も覚えている。
いわき湯本温泉は炭鉱の閉山後も、東日本大震災やコロナ禍をはじめ何度もピンチに直面してきた。だが、そのたび復活を遂げてきたのは、良質な温泉が絶えず湧き続けているからでもある。名湯、ここにあり。