人間ある一定の年齢に達すると「人生のまとめ」を考え始める。
それは「自分の想いを子どもに伝える」ことであったり、修復しておかなければならない関係に眼を向けることであったりする。
またある人は自分のルーツを辿ろうとする。
著名な心理学者のエリクソンは、老年期において人は
「人生の集大成をはかりながら、それを次の世代に伝えようとする」と言っている。
社史を編纂するように「ファミリー史、ファミリーアルバム」の編纂に取り組んでみてはどうだろうか。
祖先のこと、祖父母、親戚そして親のエピソードや人と なり、信条を私達は余り知ろうとしない。
しかし、調べていくとそこには確かにある共通点が見つかる。共通の価値観、「らしさ」がある。
同じ遺伝子を受け継いでいる子供達にそれを伝えれば、彼等の人生の舵取りにとって大いに参考となるのではないだろか。
どうしたら子どもにそして孫に自分の「想い」「信念」を引き継いでいかせられるだろうか。
それがひいてはファミリー企業の運営に、日々の生活に反映されればと親は願う。
自分が親や祖先から受け継いできた想いや家族文化を子どもに伝えておきたい。
子どもが苦境に立ったとき、或いは足を踏み外しそうになったと き
それはきっと心のよりどころとなってくれるに違いないはずである。
親の教育が終わったら次は孫教育だ。
こうした試みは、また年を重ねた親自身にとっても「人生のまとめ」となり、自らの「生の証」のようなものとなろうか。
「自分が死ねば全て終わり」というよ り、ひとつの大きなつながりの中で「死後何らかの形で生き続けるのだ」
と感じられた方が、より心安らかな老年をそして死を迎えられるように思える。
自分と いう個は消滅しても、自分がもっている生物としての機能は遺伝子の形で子孫に、
或いは家族文化として代々受け継がれる。
ある人にとっては、民族やその文化を意識し伝承していくことに第二の人生の生きがいを求めていくことになるかもしれない。
(12月22日出版予定の『凛としたシニアー「ああいい人生だった」と思えるように』を参照されたし)
榊原節子