【意味】
四十歳になって人に悪くいわれるような生き方では、その者の人生に望みはない。
【解説】
悪口は、言う側の者の勝手な感情から生ずるものですが、根元的には言われる側の者に悪口要因や嫌われ要因が在るから生じるものです。これらの要因を四十になっても解消できない人物では、先の人生に希望はないとなります。
人生芝居はたったの一幕で、オギャーの一言で幕が開き、ウンの一言で幕が閉じます。そしてその期間は「石火光中の人生」、つまり火打石の火花ほどの瞬間の短さであるといわれます。
役者に年齢に応じた役柄があるように、我々の人生にもそれぞれの時期に為すべきことがあります。これを人間学では「年相応の人間学修行」といいます。
役割を演じることができない大根役者は表舞台から降りるように、年相応の修行を怠る者も後々の人生に支障が生じます。役者は舞台から降りても別の人生がありますが、我々は自分の人生舞台を降りることはできず、空しい人生を歩むことになります。
筆者も顔が大きく美男とは縁無しですから、顔の大きな俳優の渥美清さんや西田敏行さんの苦労が解ります。若い頃から男前揃いの男優の中で相当苦労され、その苦労が積み重なってその後の名優の地位を獲得できたものと思います。人間はどのような人生を歩くにしても、ロマンを持って頑張り続けると、何処からとなく後押しがあります。筆者はこれを「お天道様の後押し」と名付けています。
第42講で言志四録の「少にして学べば、壮にして為すことあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」を取り上げました。
この句は「三学戒」などともいわれていますが、「青少年時代に学べば、壮年になって為すことがある。壮年時代に学べば、老年に なって気力が衰えない。老年時代に学べば、死んでもその人望は朽ちない」という意味です。
このように年齢と共に自分を鍛え年相応のやるべきことをしっかりやっておけば、次の世代でも周りの人々からの期待を受け、立派な活躍ができるという教えです。本来はそうあるべきですが、四十歳にもなっても世間に嫌われ評判が悪いのは、前段階の三十代の生き方に問題があったからです。
筆者も古稀を迎えたことから、自慢意識を抑えながら70年の生き方体験を話すように心掛けています。
幸いなことに30数年前からの『人間学読書会』のお蔭で、その立場上「名著の取り組み」や「生き方の研究」する立場を強いられ、その体験から言えることは、以下の通りです。
「人生は一回限り、僅か青壮老の三世代のみ。
我が身の才能を自己卑下することなく、
5年単位で自分修行の道を歩むべし」(巌海)