日中国交正常化交渉で最大の問題は、
敗戦後の日本が、蒋介石の国民政府(台湾)との間で1952年(
あくまで、中国を代表する唯一の政権である北京政府が、
それでは、1952年から、この時点(1972年)までの20年
「大学卒が智恵を出せ」
「大平(正芳・外相)さん、この二十年間をどう規定するかは、
法理にこだわる日本外務省の姿勢を法匪とまでなじられ交渉は暗礁
「じゃ、どう表現する?」と大平。
「ここはひとつ、『不自然な関係にあった』
「文学的表現か…よし、それしかないな」
交渉三日目、事務方の協議で、この表現が机上に乗る。
外交は言葉のゲームでもある。
「智恵を出せ」と指示した田中にしてみれば、与野党協議、
三日目の夜、中国主席の毛沢東は日本側代表団と接見し、「
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
参考文献
『早坂茂三の「田中角栄」回想録』早坂茂三著 小学館
『田中政権・八八六日』中野士朗著 行政問題研究所
『田中角栄の資源戦争』山岡淳一郎著 草思社文庫
『記録と考証 日中国交正常化・日中平和有効条約締結交渉』石井明ら編 岩波書店
『求同存異』鬼頭春樹著 NHK出版