「価値」と「勝ち」から考える
――人的資本経営は、まだ定義が決まっていないそうですが、現状、どう理解したらいいでしょうか。
まず、人的資本経営が注目されるようになった背景ですが、二つの「かち」、「価値」と「勝ち」から考えると理解しやすいでしょう。まず「勝ち」ですが、現在、アメリカの株式市場の9割は、「ブランド」「特許」「ソフトウェア」など無形資産で構成されているといったデータがあります。
これまでは、どちらかと言えば機械など設備投資に力を入れてきた企業が強かったのですが、そこが大きく変わってきています。その変化とは、「どんな人材がいるのか」、「人材をどのように扱っているのか」といったことの可視化が求められるようになったことです。
人材のスキルの高さや経験値の高さ、つまり人的資本のレベルの高さが新規製品の開発スピードや顧客満足に繋がるなど事業運営上の数値がよくなるという研究結果が出ています。
つまり、企業の勝ち負けを人材が左右するようになったので、人材をどのように扱っているのか、企業価値につなげられているのかといったことが問われるようになったのです。
――価値の方は、いかがですか。
企業の立ち位置が大きく変わってきました。たとえば国内外問わず人権の尊重を推進する「人権DD」、持続可能な開発を目指す「SDGs」などが採択されるようになり、投資家は、業績だけではなく人権保護や環境などについても配慮することが求められるようになりました。
また、日本の経団連にあたるアメリカのビジネスラウンドテーブルは、これまでの株主第一主義を脱却して、従業員や取引先なども平等に扱うという宣言を出しました。このように人材を大切にすることが求められるという価値観の変化が起こったのです。
――日本についてはいかがでしょうか。
2020年に経済産業省から出された「人材版伊藤レポート」は日本企業が人的資本に目を向けることの決定打になりました。これは一橋大学の伊藤邦雄名誉教授を座長として、人的資本経営を実現するためのアイデアを提示したものです。
2022年には、内閣官房の非財務情報可視化研究会から人的資本可視化指針、2023年には、上場企業に人的資本の開示義務が出されました。この辺りから、日本でも人的資本経営が大きな潮流になってきたのです。
――ひと口に人的資本経営と言っても、いろいろな背景や内容があるんですね。
そうですね。人的資本経営の定義についてはいろいろな捉え方が出てきて難しいんですよ。経産省は「人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方です」と定義づけています。
これを私なりの解釈に引き直すと、今の時代や価値観に基づく人材マネジメントの焼き直しだと思っています。
現在は、置かれている環境や価値観は多様化していますからね。変化に合わせて企業と人との向き合い方を変えていく必要があるでしょう。
――確かにそうですね。
たとえば若い人の退職率、転職率が高まっているのは、みなさん、ご存知の通りですが、5年前と比べると転職率は3倍くらいに高まったといったデータもあります。新入社員の4割が1年後には転職を考えているといったデータもあります。
こんな時代の中での人材マネジメントは、当然、変えていかなくてはならない。もう一つ意識しなければいけないのは若い人は働く意義、仕事の意義みたいなものをすごく重視していることです。
「なんで、この会社で働かなくてはいけないのか」「なんで自分の人生をこの会社に捧げないといけないのか」…。そうしたことが常に問いかけられる時代になったのです。
――仕事の意義などを重視するから、違うと思ったらすぐに辞めてしまうんですね。
また、人材の価値観においてその多様性が増す中では、階層別研修とか、年次管理など、既存の人材マネジメントが立ち行かなくなった。
ゆえに今の時代とか価値観に基づく焼き直しが必要。これが人的資本経営の一つの定義です。
ダイバーシティの3つの目的
――有価証券報告書を見ると、優良企業が必ずしも人的資本経営の取り組みが進んでいるわけでもないんですね。
確かに、企業の強さとは直結しない部分もあります。アメリカでもDEI(Diversity、Equity、Inclusion)は逆に差別を助長させているという主張も出てきて、揺れ戻しが起こっていますしね。
ただ、やはり人的資本経営のためにダイバーシティは欠かせない要素の1つです。私はダイバーシティには3つの目的があるとお話しています。
1つは倫理的に良い会社をつくるため。2つ目が安全な会社をつくるため、3つ目が強い会社をつくるため。これらは重なっているようで実は重ならない部分もあります。3つの識別がついていないと、下手をすれば生産性が下がることもあります。
――どんなケースですか?
例えば男女など目に見える属性のダイバーシティ。倫理的に良い会社であろうと急速に管理職の人数や給与など、数字だけの平等化を推し進めるといったやり方次第では男性村対女性村のような対立が生まれることもあります。
結果、生産性が下がるといったことを報告する文献がいくつもあります。
一方、安全な会社を目指すために役立つダイバーシティもあります。よく例に挙げられるのがリーマンブラザーズ。もし、リーマンシスターズだったら破綻しなかったと言われています。
――リーマンシスターズですか?
女性中心の会社だったらという意味です。男性、女性と紋切り型には言えませんが、男性はちょっとリスクテイクな傾向がある。そういう男性が集まることで、サブプライムローンのようなハイリスクの商品を開発するなど、アクセルを踏みすぎてしまった。
もし、女性に限らず、いろんな考えの人が集まるといったカタチのダイバーシティに取り組んでいればブレーキが利いたはずです。
強い会社を目指すためには、イノベーションが必要ですが、そのためには考え方やバックグラウンドの異なる、時にはぶつかり合うような多様な人々が集まるダイバーシティが重要になってきます。
――日本企業でも、このように考えてダイバーシティに取り組んでいるのでしょうか。
ダイバーシティに取り組まなければいけないという何となくの理解は広がっているようですが、3つの識別を行わず、「何となくのダイバーシティ」を推進している企業もまだまだ多いように感じます。
旗振り役によって入口が変わる
――中小・中堅企業は、どのように進めていけばいいのでしょうか。
商工会議所さんと組んで、中小、中堅企業を対象にしたセミナーなどを開催しています。
5人くらいの会社も参加いただくこともありますが、会社の大小に関わらず共通してやっていただくのは、まず起点となる会社の存在意義、つまりパーパスが明確に定められているかを振り返っていただくことです。それが1丁目1番地。
人的資本経営と遠いように感じますが、素晴らしいパーパスを掲げることで人財の獲得や定着にも繋がります。次に考えるべきことは、会社としてどんな人材を揃えていきたいのか、どんな文化をつくっていきたいのかを決めることです。
結局、人事の施策はすべてそこに繋がらなければ意味がありません。こういう人をつくっていきたい。だからこういう人を採用するんだ。こういう人を育成するんだと。こういう文化をつくっていきたいから、こういう制度をつくっていくんだと。ゴールを定めてから施策を考えることが重要です。
――会社全体としての雰囲気づくりも大切そうですね。
なぜ人的資本経営への取組みが必要なのか、その意味付けを社内で徹底することは大切ですね。また、社長が旗を振るケースもあれば、人事が旗を振るケースもあります。
社長が旗を振る場合は、論理やデータを振りかざすより、情理を前面に出す方が良いでしょう。社長が「人に投資することでこういう効果を挙げたい」という話をすると、「我々をモノ扱いしている」というような反発が従業員で生じることがあります。
それよりも、こんな世界観を実現したいとか、うちの会社をこうしたいといった情理で入った方がうまくいきます。逆に人事部がやる場合は、情理でやればまず社長が納得しない。
人的資本経営に取り組むことで、離職率がどのくらい下がるのかなど数字を用いる方が効果的です。このように、誰が始めるかによって入り方を変えた方が良いでしょう。
――今後は、人的資本経営に取り組む会社と、取組まない会社で大きな差がついていきそうな気がしますが。
つきますね。これまでは会社の内情はあまり外部から伺い知れませんでしたが、これからは様々な情報が外部にさらけ出される時代になっていきます。
たとえば、今はオープンワークの口コミサイトが沢山あります。口コミなどで内情が分かってしまい、その会社が真剣に社員と向き合っていなければ、この会社はだめだと見限られる。食べログとか価格.comが会社に適用されるのと一緒です。
――ある意味、厳しい時代がやってきそうですね。本日はありがとうございました。(聞き手/カデナクリエイト 竹内三保子)
岡田幸士(おかだ こうじ)
ルヴィアコンサルティング株式会社 共同経営者/COO
神戸大学経済学部で組織論の大家 金井壽宏教授のゼミで学ぶ。卒業後、日本マクドナルド入社。人事部に配属され、人事戦略策定、制度設計、労政など、16万人の社員・アルバイトの人材マネジメントに携わる。その後、デロイトトーマツコンサルティングの組織・人事コンサルティング部門に移り、2年で全社トップ3%の評価を受ける。2020年に独立して現職。会社のビジョンは「人と組織に灯を」。これまで大企業から、地場の企業、IPO前後のベンチャー、企業再生・民事再生中など、様々な企業の支援を担当。クライアントの売上規模の累計は60兆円を超える。著書に『最強組織をつくる人事変革の教科書(共著)』(日本能率協会マネジメントセンター)、『図解 人的資本経営 50の問いに答えるだけで「理想の組織」が実現できる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)がある。
ビジネス見聞録WEB4月号 目次
・p1 収録の現場から 〈妹尾輝男「実践エグゼクティブ・コーチング」音声講座〉
・p2 講師インタビュー【増収・増益・増“元気”!数字を社長の武器にする経営】田中靖浩
・p3 今月のビジネスキーワード「人的資本経営」
・p4 令和女子の消費とトレンド「ベストセラーが生まれる理由とは? ヒットの裏にある『人を動かす隠れたホンネ』」
・p5 展示会の見せ方・次の見どころ
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