「甲陽軍鑑」にいう四つの類型
タテ社会の弊害を抱える日本型組織では、トップはワンマン化しやすい。そのトップがいかに愚鈍であっても、それを指摘し、あるいは排除する力は働きにくいので、組織・企業は腐敗する。
戦国大名である甲斐の武田家の軍学書『甲陽軍鑑』では、領国を失い、家を滅ぼす大将の四つの類型を挙げている。
その第一は「愚鈍な大将」であり、第二は「利口すぎる大将」、第三に「臆病な大将」、四つめは「強すぎる大将」である。
同書の指摘によれば、愚鈍な大将は、ただ愚かなだけではなく、往々にして自尊心が強くわがままだ。わがままだから月見・花見・物見遊山にうつつを抜かす。本芸である武道を疎かにして芸達者に終わる。
例えて言えば、ちょっと景気がいいからといって小唄、ゴルフに精進して、上達ぶりを自慢する。視察と称して不要な海外旅行を繰り返すようなものだ。自惚れが強いから、本芸である組織運営、経営判断でも他人にはない優れた能力があると思いこんでいる。
叱られるのを恐れてお追従に走る部下
それでも家臣がしっかりしていれば、組織は回るはずだが、そうはいかない。トップとその側近ににらまれては中傷され失脚もある。出世に関わるので、侍たちは意見があっても言わなくなる。主君のやることなすことに、「なかなかお見事」と褒めそやす。
すぐれた大将ならば、自分の判断に対する部下のお追従が、本当に感得しているのか、その場しのぎの儀礼的なものなのかを見分けられるが、これがまた至難の技だ。
出張先のホテルに到着すると、好物の果物、飲料がずらりと並ぶ。手配したのが、現地所長だとわかると、「うい奴だ」と人事で取り立てる。それが噂になると、だれもが真似るようになる。「習い性となる」である。
目を曇らせないために
『甲陽軍鑑』を書き残した、武田信玄・勝頼の側近である高坂弾正は、そのような例を嫌というほど見てきたのだろう。
愚かな大将は、人事能力でも自信があると自惚れているが、結局、自分と同じ愚鈍な側近が集まり、末端までその色に染まる。
高坂弾正は、こう忠告している。「どんな国持ち大名の家中でも主君に直言する家老は、多くて五人、どうかすると三人もいない」と。それを見分け、自惚れることなく、耳に痛い客観的意見を聴くことができなければ、いかなる賢君でも、愚将と同じ轍を踏む危険を抱えている。
近ごろ、スポーツ界、官界、大企業で繰り返し噴出している組織不祥事は他人事ではない。いずれも、外の眼には「そんな馬鹿なこと」と見えるが、内部にいると気づかぬものなのだ。いつあなたの組織にも起きるかもしれないのだ。他山の石としたい。
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
※参考文献
『日本の思想9 甲陽軍鑑・五輪書・葉隠集』相良亨編集 筑摩書房
『甲陽軍鑑』吉田豊 編・訳 徳間書店