【意味】
歴史書を読むべきである。
古今数千年の人類の足跡が自己の胸中に整理羅列されれば、何と痛快なことであろうか。
【解説】
岩波新書に貝塚茂樹氏の『中国の歴史』三巻という名著があります。
一概に中国の歴史書といわれても、大別すると二種類になります。
一つは貝塚先生のような歴史学者が、現代の視点から数千年の中国の歴史を総合解説した教科書的な歴史書と、
もう一つは「漢書」「三国志」などに代表されるような古典史書に属する歴史書です。
前者の教科書的な歴史書には、中国の歴史が体系的に整理され大局的な中国理解には都合がよいものです。
一例を挙げれば中国人(特に現代中国人口の約93数%を占める漢民族)は、
古くから自分たちが世界の中心であるとする「中華思想」を持っています。
“中” とは世界の中心、“華”とは文明を意味しますが、このような民族思想を捉えるにはこの種の教科書が便利です。
後者の古典史書は、その時々の王朝の公式文書である正史の一つとして書かれたものです。
しかし正史ですが日本のように歴史的史実に重きを置いて述べているものではなく、
むしろ主に君主や宰相の人物論を述べながら副次的に歴史的史実を述べる傾向があります。
なぜそのようになるかといいますと、中国の皇帝は、天地自然の神様(天帝)の子
としての天子であると共に人民のトップたる君主であるという二面性があります。
何をなしたかということも大切ですが、如何なるレベルの人物であったから、
このような王朝の成立・繁栄・没落を招いたという人物視点も大切なのです。
それ故に中国史書は、人物論的な表記が多くなり『史書⇒帝王学書⇒人物書』という流れの書物になります。
その代表例が実践的な帝王学の教科書として有名な「貞観政要」ですが、
唐の2代目の名君太宗の人柄や言行をクローズアップした素晴しい人物書でもあります。
次に、なぜ歴史書を読まなければならないかという点を考えてみます。
人間の寿命が千年も続くものであれば、自らの経験だけで過ちのない人生を送れるのかもしれません。
しかし七百万年の長さを誇る人類の歴史も、中身を覗けば各人の70~80年の短い人生が積み重なったものです。
成功例だけでなく数多くの失敗例も示されています。
この先人の生き方を研究しないで、 瞬時に過ぎ去る一回限りの人生を間違いなく過すことは難しいことです。
過ぎ去った歴史が役に立つのかと思われがちですが、歴史学は人生の土台作りの学問です。
単なる史実として捉えるだけでなく、君主や宰相の人物論や言行録と して捉える所に歴史書の値打ちが現れてきます。
それだからこそ人間学において歴史書を学ぶことを大切にするのです。