例年に比べて遅い梅雨明け。ようやく夏らしくなってきました。夏と言えば、よくご相談が増えるのは、「体臭」です。今回は、体臭について考えてみましょう。
無臭志向の強い日本では、自分の体臭が気になって、人間関係をつくることができないという方が増加していると言います。魚臭症(トリメチルアミン尿症)など先天的にもった代謝異常が原因のものもあり、体臭対策と言っても、なかなか一様にはいきません。
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私たち、セラピストやカウンセラーという種類の人間は、クライアントさんが発するきわめて微妙な情報をキャッチし、増幅できるアンテナというのを常に磨いています。
ただし、それがもともと優れているというわけではなく、そのセラピストの得意な分野でアンテナを磨く努力をしています。
例えば、私の知り合いの鍼灸(東洋医学)の先生などは、クライアントのにおいと背中の様子だけで、「おい、昨日、●●と●●食ったな」と言い当ててしまうほどのするどいアンテナを持っています。別に、にんにくとかのにおいじゃないんですよ。ハンバーガーでも、イタリアンでも、和食でも言い当ててしまいます。
東洋医学には、聞診というのがあって、においも、五感で「聞く」対象なんだそうです。
■脂の生臭さ・・・「肝」の病をうたがいます。
■こげくさい・・・「心」の病をうたがいます。
■腐ったようなにおい・・・「腎」の病をうたがいます。
■生ぐさい・・・「肺」の病をうたがいます。
魚臭症などの生ぐさいようなにおいは、東洋医学的には、「肺」に関するにおいかも知れませんね。
魚臭症による体臭とは、私の調べた限り、『魚などの多く含まれるレシチンという脂質が、大腸の腸内細菌の酵素により、トリメチルアミンという魚臭に似たニオイ物質に分解されて、それが体を回って、呼気や汗や尿の中に排泄されることで特異的な体臭をつくるもの』だそうです。
ここで注目は、「大腸」の腸内細菌の酵素という点ですが、東洋医学では、表裏一体の陰陽説というのがあって、「大腸」と陰陽の関係にあるのは、なんと「肺」なのです。
さて、ここからが、「か・ら・だマネジメント」のぐぐっと、面白いところ。ドイツの神秘学者、日本ではシュタイナー教育で有名なルドルフ・シュタイナーいわく、
■肺は、思考にかたさを与える
■肝臓は、行為に向けて力を与える
■腎臓は、魂の営みに生気を与える
■心臓は、内なる支えを与える
と四つの臓器の目的を語っています。肺の作用が大きい人の気質は「憂鬱質」が多いとされています。憂鬱質の人は、慎重、熟慮、石橋をたたいても渡らない人。深く感じ、深く考え、几帳面で整理整頓を心がけます。
安心して仕事を任せられる人とは、憂鬱気質の人のことを言いますが、ただ、要注意なのは、憂鬱気質の人に、何か不愉快なことを言おうものなら、彼らは決して忘れません。嫌なことをされたりしたら、いつまでも覚えているのです。
私は、この憂鬱質の人が、恨みや復讐心を頂いたときのエネルギーは大腸に作用するんじゃないかと考えています。
呼吸法に腹式呼吸というのがありますよね。「丹田」というへその下あたりに意識を集中するという呼吸法です。大腸と呼吸(肺)というのはこんなところでも「陰陽の関係」を見せているんですが、恨みや復讐のココロって、まず、呼吸を浅くするんです。
呼吸が浅いと、丹田に「気」が充実しない。つまり、おなかに力が入らなくなります。おなかに力が入らないことが、腸内細菌の酵素と「トリメチルアミン」の分解にどう関係あるかまでは、ちょっと踏み込めませんが、しかし、おそらく、魚の生臭いようなにおいとは、肺と大腸への気の不足から起こるんではなかろうか? というのが私の推測なのです。
もちろん、シュタイナーは他の臓器のことも指摘していますし、東洋医学でもほかの臓器による、別の種類のにおいにも言及しています。シュタイナーの気質には4つの気質がありますが、たいていの人が複合的な気質になります。
そもそも「臓器」と一言でいっても、肺も心臓も肝臓も腎臓も、みんな持ってますから、「私、肺しか持っておりせんので、私のにおいは、このにおいのみで行きます!」という人はいませんよね。
だから、ここから考えられるのは「特化した臓器の使い方が、特化したにおいを生じさせる」ということ。それはつまり、肺だけが特化した使われ方をしていて、ほかの3つの臓器との歩調が合っていませんよ、ということなんです。
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人間はもともと、じっとしていても、いろんなものを発しています。温度、光、におい…、その人の持つ雰囲気や風格なんかもそうです。ほかにも、言葉を発することができますね。歌を歌うこともできます。絵や文字を使って自己表現することもできますね。
そして、発せられる情報の共通点とは「受け手がいて、はじめて成立する」という点です。「発信と受信」ですね。つまり、共鳴がないと、この世では何も成立しないというのが大原則なのです。
ということは、これをいいにおいだ、くさいにおいだ、と思う人がいて、はじめて「におい」というものも成り立つ。においって、不思議と記憶と密接に結びついていますよね。ある香りをきっかけに、過去の記憶がさーっと、映像としてよみがえることもあったりします。
人が誰かのにおいに共鳴するときは、よくも悪くも、そのにおいに共鳴した人自身が自分の中の過去の体験を無意識によみがえらせているのです。
肺の作用が特化し、憂鬱気質の強くなった人というのは、自分の体臭が、世の中のすべての人の迷惑になっている、と考えがちなのです。でも、実際はそんなことはあり得ません。
どんなにおいも、発信した人に共鳴して、そのにおいを感じる、ということですから、人によっては、あなたのにおいがまったく気にならないという人もいるはずなんです。
そして、ここが最大のポイントです!よーく、聞いて(いや、読んで)くださいね。
あなたの発する体臭は、自己表現の一種なんです。つまり、自分の気持ち、これだけがんばってきたこと、これだけ勉強してきたこと、これだけきっちりやってきたことを、十分認められていないことを、体臭という信号でしか発し得ない、あなたのその才能として、なんと、体臭が代弁してくれているんです。
ということは…、あなたの才能を文章にしてみましょう、言葉にしてみましょう、歌に、詩にしてみませんか?
今日からあなたの才能棚卸し。深呼吸をして、おなかに力を入れて。中途半端でも、ぜんぜん構いません。どんどん、どんどん、あなたの体臭のもとを別の情報に変換してやりましょう!
あなたのその才能に多くの人が共鳴してくれたとき、あなたのカラダはもう、体臭を体臭にさせておく必要がなくなるでしょうね。